【雑記】私がわたしでなくなっていく
苦手
私は人の名前を覚えるのが苦手だ。
学生時代は、クラスメート全員の顔と名前を一致させるのに半年以上かかった。
私は人の名前を覚えるのが苦手だ。
単純に覚えるだけでも難しい。
柔軟に覚えるとなると壊滅的だ。
例えばこんなとき
クラスに田中太郎くん(仮名)がいるとしよう。
私は彼のことを「田中くん」と呼ぶと決め、名前を覚えた。
それと同時期に映画『ゲゲゲの鬼太郎』が流行り、田中太郎くんのあだ名が「鬼太郎」になった。
周りがヤンヤヤンヤ「オイ、キタロウ!」とはやし立てる。
本人も満更でもなさそうに見えた。
教師も「鬼太郎」呼びするほどに浸透した。
しかし私はマイルールを曲げずに「田中くん」呼びを続けた。
なんだか「空気読めてない奴」感は出たが、そんなに頻繁に名前を呼ばなかったので問題にはならなかった。
鬼太郎というあだ名がすっかり浸透して、勢いが下火になったころ。
田中太郎くんがこっそり告げたことがある。
「きみだけはちゃんと名前で呼んでくれて嬉しかった。」
そのとき私は、申し訳ない気持ちになった。
私は名前いじりに反対して「田中くん」を貫いたわけではない。
ただ、一度覚えた名前を別の名前にアップデートしなかっただけなのだ。
かなりの脳のリソースをさけば、彼を鬼太郎と書き換えられた。
できたけど、やらなかった。
そんなことで彼を喜ばせてしまった。
なんだか偽善をした気分だった。
私になにが起きているのか
この「一度〇〇と決めたら変更できない」ルールは自分自身にも適応されているようだ。
最近こんなことが増えた。
自分の名前をド忘れする
自分の名前を書き間違える
自分の名前を書き忘れる
どういうことだ?
私は生まれてこの方この名前しか使っていない。
なのに、なぜ、忘れる?間違える?
ここ最近頻発するこの凡ミス。
考えられる理由は note だ。
note を始めて、人生初のペンネームができた。
私が「あららら」になって約5ヶ月。
たくさんの文章を書いてきた。
私の日常を「あららら」の日記として公開してきた。
私の感情を「あららら」の雑記として公開してきた。
私の記録を「あららら」の読書メモとして公開してきた。
「あららら」に来たコメントを「あららら」として返事してきた。
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引きこもりで無職の私が関われるコミュニティはすごく狭い。
リアルの私はほとんど家族としか話さない。
でも「あららら」は違う。
note の中でたくさんの人とコミュニケーションをとっている。
活発に自己アピールをしている。
はたして、
ほとんど口に出さない私の本名と
毎日目にする「あららら」というペンネーム
どちらが<私の名前>の座にふさわしいのだろうか。
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