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疱瘡(ほうそう)の姫君―花折る少将異聞―第四話

創作大賞2024、漫画原作部門応募作品です。
応募は第三話まででしたが、最後まで収まりませんでしたので、第四話、第五話として載せます。もとは平安時代を舞台にした時代小説です。
もしご興味があれば……。


大変なことになってしまった。

 少将が光季に頼んだことは、粗末な牛車を手配すること、そしてあの荒れ屋敷の姫君のもとに自分を案内することだった。これを聞いた時、光季は耳を疑った。なぜあの姫君のところに少将が行こうとするのか。まだ文も交わしていないというのに。いや、その前に少将には透子姫がいる。いくら仲違いしたからといってあまりにひどい仕打ちではないか。光季はよほど不満げな顔をしていたのだろう。少将が誤解するなと言って、自らの企てを光季に打ち明けた。光季は驚きのあまりにしばらくは口も聞けずにいた。少将の企ては次のようなものだった。

 荒れ屋敷の姫君、広姫は、帝に入内することになっている。その女房として出仕するのが透子姫である。自分はそれを何としてでも止めたい。そのために、明日の晩、広姫を盗み出し、牛車に連れて自分の邸に連れてくる。もちろん何もする気はない。朝になる前にお帰しする。そして都中に噂を流す。花折る少将が広姫のもとに通っていると。そうすれば、ひとまず入内の話は消えるはずだ。

 光季は少将に、それでは広姫様がお可哀想ではないかと訴えた。少将が言う。

「帝が本当に広姫を妃として迎えたいのであれば、ほとぼりが冷めた頃に入内させるはずだ。清和天皇の妃、高子姫の先例もある」

高子姫はあの在原業平に盗み出された姫君だ。入内前に業平に盗み出されたが、しばらく経ってから、予定通り入内した。

「しかし、業平はその後、しばらく冷や飯を食わされたというではありませんか。少将様だってこんなことをしでかしたらお咎めを受けるのではありませんか」

「私は、広姫が帝に入内することなど知らなかった。恋をしただけなのだ。それなら咎めることもできまい」

「透子様はどうなりますか。透子姫のお気持ちは。少将様がこのようなことをしたら一番傷つくのは透子様ではありませんか」

「わかっている。それでも、それでもやらねばならぬのだ」

少将はそういったきり黙ってしまった。そして、帰るぞと言って立ち上がった。

小舎人童の分際で言い過ぎてしまったと光季は思って下を向く。せめてここに兵衛佐殿や源中将殿がいてくだされば、お止めすることもできたかも知れないのに。

それにしても、透子様をお止めするためだとはいえ、この企てはまるで帝のお気持ちを試しているかのようだと思う。まさか少将様はあの七年前の出来事の復讐をしようとしているのではあるまいか。七年前、一度は自ら入内を望んでおきながら、疱瘡の姫君と噂され忌み嫌われることとなった透子姫を打ち捨てた帝に対し、この度の姫君に対してはどうするのかとお試しになっているのではあるまいか。そんな恐ろしいことを思いついて慌ててそれを否定する。あれは仕方のないことだったと大人たちは言っていたではないか。しかし。光季は一度頭に思い描いた「復讐」という言葉を消し去ることができなかった。もしそうだとしたら、このままただ少将様のご命令に従っているわけにはいかない。自分がなんとかしなければ。

赤く染まった下弦の月が、家路に着く二人を後ろから照らしていた。


   七

 翌日、朝食を済ませると、光季は広姫の邸に向かった。崩れた築地の外からぴゅっと短く鳥の声を真似た口笛を吹く。女の子があたりを見回しながら庭に降りてきた。誰にも気づかれないように光季のもとに駆け寄る。

「こんな時間にどうしたの」

「大変なことになった。少将様が今夜こちらの姫君を盗み出しにくる」

「まあ」

女の子―桜の君と光季は呼んでいる―は、驚いた様子でくりくりとした目を一層見開いた。そしてうっとりとして言った。

「まるで、源氏物語の光君と若紫みたい」

「いや、そんなことを言っている場合じゃなくて。君のところの広姫様は帝に入内するんだろ。うちの少将様が盗み出したら大変なことになる。なんとか止めなきゃ」

「堅苦しい宮中に行くよりは、あなたのところの少将様のほうがいいわ。それは素敵な方なんでしょ」

どうしてこうなるんだと光季は頭を抱えたくなる。いやそんな場合じゃない。ともかく事情を説明しなければと思い、光季は誰にも言うなよ、と念を押すと全ての事情を話すことにした。話を聞き終えた桜の君は。透子姫の身の上に同情し、うっすら涙を浮かべていた。そして、拳を握りしめて、よしと呟くと、

「で、今夜はどんな作戦なの」

と光季に聞く。

「ひとまず今夜は物忌ということで会えないことにしてくれ」

「それだけ? 物忌が明けたらどうするの」

「それは今晩考える」

光季に思いつくのは今のところこれだけだった。桜の君は呆れ顔でふうとため息をつき、

「ちょっと待ってて」

と言って、中に戻ってしまった。誰にも言うなと言ったばかりなのにどうするつもりなのだ。光季はやきもきして桜の君が戻ってくるのを待った。しばらくすると桜の君が息を切らせて走ってきた。

「今晩、少将様をお連れして。あとはこっちでなんとかするから」

「えっ、いや、なんとかするってどうするつもりなのさ」

「まあまあいいから。私を信じて任せてちょうだい」

そういうと、光季の手をぎゅっと握って、耳元でまた後でとささやくと、中に走って行ってしまった。光季は耳がじんじんと熱くなってもう何も考えられなかった。

 

 そうして、気がつけば夜である。光季は粗末な牛車の横を歩いていた。中には少将が乗っている。光季は心臓が飛び出るぐらいに緊張していた。もしや少将が来ると知って、伯父上の右大将様が、怒り狂って弓矢を持って来ていらっしゃるのではないか。さっきからこの考えに取り憑かれ、恐ろしくてたまらない。桜の君の調子に乗せられてよく話も聞かなかったことをひどく悔やんでみたもののもはやどうすることもできなかった。次の角を曲がれば広姫の邸である。少将がここで降りると中から言い、少し離れたところに牛車を停めた。

「案内せよ」

そう言う少将の顔も青白く少し緊張しているように見える。光季はいつもの築地のところまで行ってそうっと中を覗いた。物々しい気配はなかった。むしろ落ち着いていて、誰かを待っているかのようである。光季は一つ咳払いをした。そのままのぞいていると、さっと人影が現れた。人影はこちらに近づいて来る。桜の君だ。

「こちらへ」

桜の君は光季の方をちらっと見て一瞬微笑んだ。そして、少将を連れて中に入って行った。どうなるのだ、いや、どうするつもりなのだと聞きたかったが、光季にできることはただここで待つことだけである。

そして当の少将は、緊張していたはずの心が、案内されて邸の中に入っていくに連れて、次第に高揚感に変わっているのを感じていた。ほのかに焚きしめられた香の匂い。この先に以前見たあの愛くるしい姫君がいると思うと自然と胸が高鳴る。いや違うのだ、今回はそう言うわけではないと自分に言い聞かせる。

案内の少女が、こちらへと言った部屋にそっと入る、几帳の後ろで休んでいるのが姫君だろう。几帳越しに、そっと話しかけた。

「突然のご無礼をお許しください。先日、満開の桜の下であなたを見てからずっとお話ししたいと思っておりました」

何も返事はなかった。少将は几帳の中に入る。姫君は怖いとお思いなのだろうか、頭まですっぽり衣をかぶってうつぶしている。

「何も怖がることはございません。今宵は私の邸で少しお話をいたしましょう」

そう言うと、少将は姫君を抱き抱えて急いで牛車に向かった。庭を走るように抜けて牛車に急ぐ。まるで在原業平か、はたまた光源氏にでもなったようだと思って笑いが込み上げる。

牛車が動き出すと、高揚した気分も少しずつ冷静さを取り戻した。膝の上に抱きかかえている姫君の重さを感じながら、それにしてもうまくいったなと改めて思い返す。ふと、違和感を覚える。こうして姫君を連れ出したのに、邸の者の騒ぐ様子がなかったような気がしたのだ。気のせいだろうか。まあ良い。光季がうまく話しておいてくれたのに違いない。

ちょうどその頃、光季は邸に向かって走っていた。牛車が出発する時、先に戻って万事整えておくようにと少将から言われたからである。光季は混乱していた。どうなっているのだ。少将は広姫を盗み出してしまったではないか。それなのに、桜の君は…。

牛車を見送った後、事情が知りたくて庭のほうに視線をやると、桜の君がそっと近づいてきた。桜の君は、予定通りだから、あとは任せたからねとだけ言うと、光季が声をかける間もなく中に戻ってしまったのだった。予定通りだとはどういうことだ。しかも後は任せたって何を任せられたのかもわからない。光季は足に力を込める。息が苦しかった。それでも、今はともかく早く邸に戻ってやれるだけのことはやろう。そう思ってひたすら走った。

邸に着き、まもなく少将が客人を連れてくることを伝える。慌てて準備をしようとしている侍女たちに、内密にしておきたい話があるゆえ部屋に灯台をともしたら、あとは何もせず誰も近づけないように言われてきたと言った。牛車を停める車寄せから一番近い部屋に明かりが灯る。そうこうしているうちに、牛車が到着した音がした。

姫君を抱きかかえた少将が、用意していた部屋に入る。そっと畳の上に姫君を下ろす。

「何も致しませぬゆえ、お顔をお見せになってはくださらぬか」

そう言って、そっとひきかぶっていた衣を下げようとした瞬間、少将は、ひぃっと声をあげて後ろに飛び退いた。衣の下から現れたのは、白髪混じりの老女であったのだ。

「こ、これはなんと」

後ろにのけぞり、顔を背けたまま少将が言う。そう言ったきり、もう言葉が続かない。

「お久しぶりですこと、森丸。今は少将どのでしたね」

涼やかな声に聞き覚えがあった。少将は声の方に顔を向ける。灯台の薄明かりの下、座っていたのは、かつての弁内侍、今は大原の尼君と呼ばれているその人であった。

「お、お久しゅうございます、尼君様。それにしてもなぜこのようなことに」

少将は瞬時に事の次第を悟った。自分が広姫だと思って連れてきたのはこの尼君であったのだ。それにしてもなぜこの方は途中で声をあげなかったのか。

「なぜこの尼が、のこのことここまで着いてきたのか、不審に思っていらっしゃるようですね」

尼君の声は穏やかであった。しかしその目は鋭くこちらを見据えている。

「あなたの心のうちを聞いてみたいと思ったのです」

「私の心のうちとは」

「帝に入内する広姫を盗み出そうなどという大それたことをするにはそれなりの理由があるはず。しかもあなたには透子姫という大切な方がいる。なぜこんなことをしたのか、その訳を聞きたいのです」

 尼君はじっとこちらを見つめている。誤魔化すことはできないだろう。少将は覚悟を決めて話し出した。

「尼君様が、透子姫を女房として出仕させようとなさるのは何故ですか。かつて帝の女御になるはずのあの方が、女房になどなったらどんなに蔑まれ、陰口を言われるかお分かりでしょうに。まして疱瘡の姫君と世に噂され、疎まれたことをお忘れか。あの方が辛い思いをすることは分かりきったことなのに」

「それであなたは広姫を盗み出して、入内そのものを阻もうとした」

「申し訳ございません。しかし、帝のお気持ちが確かなものであれば、入内はほとぼりが冷めた頃に叶うでしょう。ともかく透子姫を出仕させたくないのです。透子姫は私が一生かけてお守りすると決めているのです」

「あなたに匿われて一生人目を避けて生きていくことが本当にあの子の幸せなのですか。あの子の気持ちはどうなるのですか」

透子の気持ち……。昨晩、透子が出仕の話を受けると言った時、透子はどんな話をしたのだったろうか。少将はなぜか思い出すことができなかった。あの時、私は、自分の思いに囚われて透子の気持ちをちゃんと聞いていなかったのだろうか。今になって必死で思い起こそうとするが、あの時感じた帝に対する重苦しい嫉妬が再び心の奥から湧き上がってくるばかりである。尼君が続けた。

「透子姫は、疱瘡の姫君という呪いを自ら断ち切るために今回のことを決めたのです。もう逃げたり隠れたりする人生をおしまいにして、自分で歩んでいこうとしている。あなたにそう話はしませんでしたか」

少将は首を垂れて座っていた。そうだった。女房として自分の力で生きていきたいと透子は語っていた。しかし私は信じなかった。

「私は、透子姫を帝のもとにやりたくない、ただそれだけなのです」

少将は絞り出すようにそう言った。

「あなたもまた呪いにかけられたままでいらっしゃる」

 そう言うと、尼君は静かに話し始めた。

「あなたが殿上童として源中将殿や兵衛佐殿とともに出仕し始めた時、帝は本当に喜んでいらっしゃった。私は先の帝の内侍としてお近くで見ておりましたが、帝はまだまだ遊びたい盛りで、同年代のあなたたちと一緒に過ごす様子は本当に楽しそうでした。あの当時、三人の中であなたが一番帝と仲が良かったように見受けられましたが、違いますか」

「あの頃のことは正直よく覚えていないのです」

少将が答える。

「まあ、いいでしょう。あなたがどう思っていたかはわからないけれど、明るくて才気煥発なあなたは帝にとって大事な友だったのだと思います。そんなあなたが恋をした。それはもう夢中になって。きっと帝は寂しかったのでしょう。あなたが自分から離れていってしまうようで。帝は十三歳で元服し、結婚もなさっていたけれど、本当のところ恋だとかそういう心はよくわかっていらっしゃらなかったのではないかしら。だから余計に苦しかったのだと思います。あなたを繋ぎ止めようとしたことが、あのような形になってしまったのだと私は思っておりました」

「帝が透子姫を女御に望んだのは、私が透子姫に恋をしたせいだと言うことなのですか。それが疱瘡神まで招いてしまったと」

尼君はふうと長いため息をつく。

「だから、あなたは呪いにかけられたままだというのです。もうその呪縛から離れなさい。少将殿。透子姫の入内と疱瘡神が都にお入りになったたことは別々のこと。あの子の父君が亡くなったのは本当にお可哀想だったけれど、それを人々が勝手に結びつけて噂してしまったと言うことはあなたもお分かりのはずです。透子姫が疱瘡神に愛されたなどという噂が出鱈目なことだってあなたが一番よく知っているでしょう」

少将は透子の白い右腕とそこに残る跡を思った。透子も疱瘡に苦しめられたのだった。

「帝はもう十分そのことに苦しんでいらっしゃる。あの時、自分が透子姫のために何かすればまた世の人々の話の種になり、思わぬ災難がさらに降りかかるやも知れぬと考えたのです。もうあの方は透子姫には近づきますまい」

と尼君は言った。

にわかには信じがたかった。あの頃のことは霧がかかったようによく思い出せない。疱瘡神を鎮めようと祈る加持祈祷の声と護摩を焚く匂い。塗籠の暗い部屋で過ごしたこと。じっと家の中にいることに耐えきれず外に飛びたして、大路に倒れたままの死体を見て慌てて部屋に戻ったこと。暗い記憶が霧の奥からおぼろげに姿を現し始める。世の人々が透子姫を疱瘡の姫君と噂する中、自分だけはそんな噂は信じまい、そして透子姫を一生お守りするのだと心に決めたのだった。

「あなたは透子姫を救い出した。暗い道に迷い込んだあの子はあなたに導かれてようやくここまで来たのです。もう二人ともかつての呪縛から解き放たれて、堂々と明るい道をお行きなさい」

「そんなことができるでしょうか」

少将はすがるような声で言う。

「私が一計を案じました。あなたには嫌な思いをさせることになりますが、聞いてくれますか」

 白髪にばかり気を取られていたが、肩のあたりで切り揃えられた髪と丸く大きな瞳の尼君は十分すぎるほどに美しかった。少将は頷くと、尼君のそばににじり寄る。尼君は声を潜めて、少将の耳元で計略を話し始めた。(続く)


  

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