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「光る君へ」第30回感想〜和泉式部登場〜
とうとう今週、あかね(和泉式部)が登場。
大石静さんの描く登場人物たちは、私がこれまで抱いてきたイメージをいい意味で裏切っている。
和泉式部も、単なる恋多き女では終わらせないのではないか、と期待するところ大である。
実は、私の卒業論文は和泉式部論。
大学3年の終わりに、平安の女流歌人をテーマにしようと決め、赤染衛門と和泉式部のどちらにするか、悩んだことを覚えている。
赤染衛門といえば、良妻賢母の才女、穏やかで良識的な女性というイメージ。
だが、「光る君へ」の赤染衛門は一味も二味も違う。
第27回では、藤原倫子が、娘の彰子について、
「何かこう、華やかな艶が欲しいの、みんなが振り返るような明るさが」
と言ったことを受けて、
「閨房(夫婦の寝室の意、つまり夜のあれこれ)の心得は一通りお伝えいたしました」
と、なんともズレた真面目さを見せてしまうお茶目っぷり。
思わず笑ってしまった。
それにしても心配なのは、まひろと賢子母娘の関係。
まひろは自分が一番好きな学問で娘と関わりたかったのだろうな。
でも、賢子は全く興味が持てなくて、そのことにまひろも気づいているからこそ苛立ちを募らせていくのだろう。
学問を好む自分と賢子は違うということを認めるというのはそう容易いことではない。
それでも、火をつけるという恐ろしい行為に賢子を駆り立てた、彼女の寂しさにもう少し寄り添ってあげられたら、と思わずにはいられない。
と同時に思い出したのが、芸術家、岡本太郎の母、岡本かの子。
岡本太郎を柱に縛り付けて執筆をしたという逸話が本当なのかどうかはわからないが、ものを書くことに執着する業の深さを思う。そうでなければ、あの源氏物語を書くことなどできなかったのだろうけれど。
さてもう一度和泉式部に戻りたい。
番組最後の「光る君へ」紀行で紹介された和歌について。
物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る
番組内では二人目の夫との復縁を願って詠んだ歌と紹介されていたが、これは実は諸説ある歌。
初出の後拾遺和歌集には
「男に忘れられて侍りけるころ」という詞書(歌の前書き)がある。
それを踏まえて解釈するとこんな感じ。
恋する相手の訪問が途絶えてしまい、物思いに沈んでいると、自分の心が体から抜け出して彷徨ってしまうような感覚になる、あの沢を漂う蛍もその私の魂なのではないかと思ってしまう
夫との復縁を願う、なんて簡単に片付けてほしくない和歌なんだけどな。
この一点だけが不満の、第30回「光る君へ」でした。