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「虎に翼」第21週「愛情を利用した搾取」〜有島武郎「惜しみなく愛は奪ふ」に寄せて

寅子さん。
それでは君の僕への愛情を利用した搾取になってしまう。寅子さんが優三さん(仲野太賀)に抱えているのと、同じような気持ちになる。

星航一

航一は、寅ちゃんが折れて佐田性になることを、愛情を利用した搾取と呼ぶ。

それはかつて寅ちゃんが弁護士としての社会的地位を得るために優三さんと結婚したことへの後ろめたさと、同じような気持ちを自分が抱え続けることになるのだという。それは嫌だと。お互いの愛が対等でいられることに航一はこだわる。

ふと、有島武郎の「惜しみなく愛は奪ふ」を思い出した。

愛は自己への獲得である。愛は惜しみなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが不思議なことには何物も奪われてはいない。しかし愛するものは必ず奪っている。

有島武郎「惜しみなく愛は奪ふ」より

「愛は奪う」って航一さんと態度とは逆じゃないの?と思うかもしれないが、有島は、小鳥を例にして次のように説明している。

私がその小鳥を愛すれば愛する程、小鳥はより多く私に摂取されて、私の生活と不可避的に同化してしまうのだ。(中略)小鳥のしば鳴きに、私は小鳥と共に或は喜び或は悲しむ。その時喜びなり悲しみなりは小鳥のものであると共に、私にとっては私自身のものだ。私が小鳥を愛すれば愛するほど、小鳥はより多く私そのものである。私にとっては小鳥はもう私以外の存在ではない。小鳥ではない。小鳥は私だ。私が小鳥をl活《い》きるのだ。(The little bird is myself, and I live a bird)“I live a bird”……英語にはこの適切な愛の発想法がある。

有島武郎「惜しみなく愛は奪ふ」より

つまり、言葉通りの「相手から奪う」ではなくて、相手を愛すれば愛するほど、自分自身と相手が、精神的に一体化していくということを逆説的な表現(例:急がば回れ)を使って言っているのだと思う。

また、有島は次のようにも述べている。

家族とは愛によって結び付いた神聖な生活の単位である。これ以外の意味をそれに附け加えることは、その内容を混乱することである。法定の手続と結婚の儀式とによって家族は本当の意味に於て成り立つと考えられているが、愛する男女に取っては、本質的にいうと、それは少しも必要な条件ではない。
(中略)
愛のある所には常に家族を成立せしめよ。愛のない所には必ず家族を分散せしめよ。この自由が許されることによってのみ、男女の生活はその忌むべき虚偽から解放され得る。自由恋愛から自由結婚へ。

有島武郎「惜しみなく愛は奪ふ」より

有島武郎がこの評論を世に出したのは、1920年(大正9年)。
大日本帝国憲法下である。

これってすごいことではないか。

そして、今週の「虎に翼」はこの有島武郎の「惜しみなく愛は奪ふ」へのオマージュなのではないかとすら思えてきた。

星航一が有島武郎の「惜しみなく愛は奪ふ」を読んでいて、これを実践しようとしているのだという裏設定まで妄想してしまう。

ネット上では、夫婦別姓の問題や事実婚を令和の問題を無理やり当てはめているとする声も見られるようだが、大正の時代にすでに有島は、「法定の手続と結婚の儀式とによって家族は本当の意味に於て成り立つと考えられているが、愛する男女に取っては、本質的にいうと、それは少しも必要な条件ではない。」と述べているのだ。

ちなみに有島は、愛する「男女」と言っているが、これを男女間に限定する必要はない。

このあたりは、三浦しをん氏『舟を編む』の恋愛の語釈が素晴らしいと思う。
(NHK BSのドラマも最高で、早く地上波で流してほしい。)

最近では、高校の古文の問題集にも、普通に江戸時代の男性同士の恋愛が載っていたりする。タイトルを忘れてしまったのだが、ある武士が恋人(男性)の死に目に江戸から駆けつけようとするのだが、間に合わなくて涙するところをその母にお礼を言われる、そんな場面だったと思う。

LGBTQ の問題も、これまでなかったことにされてしまっていただけで、今週描かれたようにどの時代においても悩み苦しんできた人たちはいたのだと改めて考えさせられる。

「虎に翼」は、私たちの頭がいかに固定観念に囚われているのかをまざまざと突きつけてくる。

実は私自身、今週はどうもモヤモヤしていてあれやこれやと考えているうちに有島武郎にたどり着いたのだった。


それにしても寅ちゃんは強い。

「いつ 私が 航一さんに『佐田姓になって欲しい』と言いましたか」

by 寅子

寅ちゃん、その物言いはないんじゃない?
刃渡り30センチのナイフで突き刺してるよ。

そういえば、穂高先生の時もそうだった。
寅子の愛情は自分の気持ちを相手にまっすぐ届けることだから、今回もその愛がこう言わせたんだろうな。

寅子はこういう人なのだと、うだうだ考えているうちにふと思い出したことがある。

寅ちゃんは、大正3年(1914)五黄(ごおう)の寅年に生まれ、寅子(ともこ)と名付けられた。

うちの祖母も大正生まれ、寅年だった。

かつて母は、
「うちのおばあさんの寅はね、とっても気性の激しい大虎なのよ。私の寅とは違うのよ」とよく言っていた。

母も寅年生まれである。当時は何を言っているんだか、お母さんも十分虎だわ、と思っていたが、祖母もまた寅子と同じ五黄の寅年生まれだったのだ。

気性の激しい五黄の寅。

寅子という名もまた壮大な伏線だったのかと今さら気が付く。


それにしても10代の寅子が、「はて?」という言葉で当時の常識に立ち向かっていく姿は痛快で「はて?」を聞くたびワクワクしていたのに、40代の寅子が「はて?」というとハラハラ心配になる。時にもう少し大人になっても良いのではとすら思ってしまう。

これは、私のなかにも気づかぬうちに「大人の女性はこうあるべき」というバイアスができてしまっていることを示しているのだろうか?

もし、航一が寅子に
「いつ 私が 寅子さんに『星姓になって欲しい』と言いましたか」
と言ったのだとしたら、これを突き刺す言葉だと思っただろうか。


来週は、星家での麻雀大会?
花江ちゃんじゃないけど、心配だわ。






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