「光る君へ」登場人物考〜安倍晴明 第32回
安倍晴明が死んだ。
私にとって、初めての安倍晴明との出会いは、稲垣吾郎演じる晴明であった。
NHKのドラマ「陰陽師」。2001年、原作は夢枕獏氏の『陰陽師』シリーズ。
私はすっかり夢中になった。
以来、私の中の安倍晴明は稲垣吾郎なのであった。
(残念ながら、山崎賢人君はまだ見ていない。)
若く美しい安倍晴明から、おっさん安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)へ。
最初はかなり戸惑ったが、いやこれが実際の安倍晴明だったのではないか、そう思わせるユースケ・サンタマリアの晴明だった。
晴明が、
と言った時、そこに確かに晴明がいる、と感じた。
なんというか、自らの命をも操る、という感じがしたのである。
御簾の外で、須麻流(すまる)がくりかえし唱えていた言葉、
これは阿弥陀如来のご真言だそうだが、道長が来るまで晴明の命を繋ぎ止めるためのもののように思えた。
命を操る、といえば、第30話の雨乞いのシーンもそうだった。
雨を降らせるために、龍神を呼び出そうと決死の祈祷をする場面である。
ようやく雨が降り、力尽きて倒れる晴明と、隣で泣く須麻流。
一気に老け込んだその姿は、まさに自らの寿命を差し出して龍神を都に呼び戻したのではないかと思わせた。
「光る君へ」第1話、冒頭は、星を見て大雨を予言するところから始まる。
もしや後の命懸けの雨乞いと対応していたのか。
そもそも陰陽寮に属する陰陽師とは、天体観測によって吉凶を占い、暦を作り、時刻を管理したのだという。
今回のドラマでは、呪術師としての晴明というよりも、天文博士としての人間らしい晴明の姿を見たような気がした。
人の心を、世の流れを巧みに読み取る。
政治家に決断を迫り、物事を動かしていく。
いや、晴明のおかげで呪詛や祈祷が成功するのだと思わせることで、人々の思わぬ力を引き出しているのかもしれない。
死の間際、晴明の眼に満天の星空が映った。
晴明が亡くなったのは旧暦9月26日。
26日の月は、深夜1時ごろ、東の空に浮かぶ。
三日月を逆向きにしたような細い月である。
満天の星空と二六日夜月(にじゅうろくやづき)に見送られて、晴明は逝った。
須麻流もともに逝ってしまった。
まるで二人で星空に帰ったかのようだった。
安倍晴明は教科書にはほとんど出てこない。
出てくるとしたら、大鏡「花山天皇の出家」。第10話でも描かれた場面だが、残念ながら、この場面多くの教科書でカットされてしまっている。ここを入れると長くなるし、なくても出家の話は通じる。
せっかく安倍晴明が出てくるレアな場面なのに、なんということ。
だから、現職の頃は、ここに晴明が出てくるのよと力説していた。
以下、ざっくりとあらすじを載せる。
出家のために、内裏を出た花山天皇の牛車が、晴明の家の前を通る。
ちょうどその時、晴明が家の中から、
「帝の退位するという天変があったが、もうすでに実現してしまったぞ」と言う。その声を牛車に乗っている花山天皇自身が聞き、感慨にふける。
このあと晴明は式神に内裏に参上するよう命じる。
目に見えない式神が戸を開ける。
そこで花山天皇の牛車が通り過ぎるのを見て、
「ただいまこの前を通過して行きました」
と晴明に報告する。これがあらましである。
最初の頃、須麻流はここに出てくる式神なのかと思いながら見ていた。
例えば、藤原兼家が安倍晴明と話す場面でも晴明の隣にちょこんと座っている。
身分的にそんなことは許されないかも?と思う。
もしや晴明以外には見えない式神なのか?
でも次第に式神でも従者でもどちらでも良いような気になってきた。
すべて晴明に操られている式神というより、須麻流も一個の人格として存在しているような気がしたのだ。
だから余計に二人の最期には、胸を打たれた。
私の中の安倍晴明は、
稲垣吾郎からユースケ・サンタマリアに交代してしまった。
さて、中宮彰子様のもとに出仕するまひろを家族が見送る場面。
父、為時は、
と言う。
紫式部日記には、次のような父の言葉が載っている。
【ざっくり訳】
残念なことに、この娘が男の子として生まれてこなかったなんて、私には幸運がなかったのだなあ
これは惟規(これのり)(高杉真宙)が物覚えが悪くてまひろの方がすぐに漢籍を覚えてしまうことに対する父の嘆き。ドラマでもこういう場面は何度もあった。
父にありのままの自分を認められた、ということなのだろう。
来週からのことはとりあえず置いておいて、
まひろ、本当によかった。
先週の記事でコングラボードをいただきました。
読んでくださった方々、スキを押して下さった方々、本当にありがとうございました。
先週の記事はこちら。