コクな社会だ
北海道に行きたい。住んでみたかったから。
そして、シチューが食べたい。焚き火がある部屋で。
あとは、本を読んだり。変な事が浮かべば、部屋に篭って書いていたい。
で腹がまた減ってきて、シチューを明日はドリアにしたい。と声に出す。
そうすれば、また明日も生きることが出来る。
その生活が気に入れば、じゃあどうやって続けられるかを試行錯誤したい。
良い意味で、軽々しく生きたいものだ。不幸を選ぶのであれば。
昔、「最高の人生の見つけ方」という映画を見た。
自動車整備工と実業家はガンで入院した病室で出会い、ともに余命半年を宣告される。“棺おけに入るまでにやっておきたいこと”を書き出した“バケット(棺おけ)リスト”を作った2人は、リストを実現させるため人生最後の旅に出る。
ポジティブに「やりたい事をしよう。」と思わしてくれる、良い話だった。
ただ、寿命を宣告されて、人生最後の旅に出ると言うのは、
少し特殊な条件だなと思ってしまった。
寿命を宣告されたこともない。
蓄えも普通だ。
じゃあ、リストの実現に必要なのは、勇気です。なのだろうか。
捻り絞れるものであれば、バケツは勇気で満杯だろう。
けれど、バケットリストって実現が重要じゃなくて、
持つことに意味があるのかも知れないな。と思った。
最後に不幸な選択をしそうになったら、
あのリスト達成してからにしよ。とかならないかな。
ただ、本当に追い込まれた人はリストの達成を既に忘れていて
どこかのタイミングで本人が生き方の決断をする必要があるのだ。
コクな社会だ。
もっと気軽に生き方を見直したり、生活を変えてみたり。
影分身の術で複数の人生を生きたいと良く想像していたものだ。
好みが固まって、5人ぐらいシチュー食べてそうだけど。
現実的な願いで言えば
人生再考休暇と人生再考補助金はいつ開始するのだろう。
使用時期はいつでもよくて
自由とお金を強制的に渡してくれる制度である。
会社から取得ハラスメントがあれば尚良い。
最後の切り札として残しておくか、さっさと使ってみるか。
これでまた悩みそうだ。