読書記録とちょっぴり不登校のこと
今回読んだ本は、
スローライフのために「しないこと」
(辻信一著 ポプラ社 2009年)
文化人類学者である著者の辻信一さんのことは、とある雑誌で最近知った。
環境活動に関心がある人なら知っているのかもしれないが、ピンと来ない人でも「スローライフ」という言葉は聞いたことがあるだろう。辻さんは、まさにその「スローライフ」を提唱した人なのだ。
この耳触りのいいキャッチーな言葉は、あちこちのメディアで取り上げられ、たいていの人がその言葉を聞いて、なんとなくイメージができるほど定着している(イメージの個人差はさておき)。ここ最近の言葉で言うならば「サスティナブル」のような…。
ただ「サスティナブル」が「持続可能な」という本来の意味よりも「エコ」が強調されているものが多いと感じるのは私だけだろうか。
そして私個人的には「スローライフ」と聞くと、田園風景と自給自足の暮らしが浮かぶ。しかしきっとこれも、メディアによって植え付けられたイメージなのだろう。
では著者の言う「スローライフ」とは。本書では、スローライフのために「しないことリスト」を作ることを提案している。現代人は常に「することリスト」に追われて忙しい。その上、することがない状態=「必要とされていない自分」というイメージまである。なぜそうなってしまったのか。著者はその理由を、競争主義社会にあると言う。
「すること」を効率よくこなしてできたスキマ時間には、新たな「すること」を入れ込む。そうやって「すること」をどんどん増やし、効率を最優先して経済を発展させてきた結果、環境破壊が起こり、地域コミュニティは疲弊し、人と人とのつながりが希薄になっていった。それらを取り戻すためには、することリストに対するささやかな抵抗として「しないことリスト」を作ればよいと言う。
例えば
・簡単に使い捨てない
・駆け込み乗車をしない
・寝る間を惜しまない
・テレビを見ない
…など。
ただし、これらに対して「絶対と言わない」のが条件(これも、しないことリストのひとつ)。"絶対にしなければならない"することリストに対して"絶対"で立ち向かうと、かえって重荷になり、いい結果にはならないからだ。例えばファストフードがすぐにやめられないのであれば、せめて食べるときは窓際に座って外を眺めながら、ゆっくりと噛み、味わって食べることなどを提案している。要は無理のない"サスティナブル"な手段で構わない、ということだ。
効率を最重視した社会は、子供の育ちにも影響していると説く。大人が先回りして効率的な教育を与えてきた結果、子ども自身が、失敗から学ぶ機会を奪っている。現在子育て中の私にとっては、学校や教育について改めて考えさせられる部分だ。
実は、我が子がここのところ、少々不登校ぎみである。私の中では、「毎日行ってほしい」気持ちと、「何で私は行ってほしいと思ってるんだろう?」という疑問が追いかけっこしている。私は、毎日学校へ行くのが当たり前の環境で育ってきた。しかしそれが、効率よく教育するために用意されたプログラムに過ぎないとすると、絶対行かなくてはならないところでもなさそうに思えてくる。
確かに。
思います!
そして私の思考は、「だいたい、不登校って言葉が良くないなー」というところにやってくる。「不」ってなんだかマイナスな感じがするし、そもそも「登校」が"当たり前"という前提ありきの言葉。じゃあ当たり前じゃなかったら?
もう勝手に改名してしまおう。
「スロー登校」
どうだろう?
学校へは好きな時に、あるいは自分が必要だと思った時に行く。
未来のために「する」ばかりでなく、今ここにただ「いる」ことを感じ、楽しむ。子どもは「育てる」のではなく「育つ」。ゆっくりと、失敗しながら。豊かな人生になるように。