『日本の山の精神史』開山伝承と縁起の世界 鈴木正崇
ひとり遅れの読書みち 第45号
著者は日本人の暮らしの中核に自然との共生によって育まれてきた「山岳信仰」があると見て、長い歴史をもつ日本人の山岳信仰を「山の精神史」としてとらえ直し、本書で「開山伝承」や「縁起」に焦点を当てて考察している。
日本の国土の4分の3は山や丘陵で、森林面積比率も高く、雨量は多く河川も変化に富む。山と森と川が織り成す自然は日本の風景の基本だ。著者は、日本人の精神文化、「こころ」を育んだのはこうした変化に富む山であり、思想や哲学、祭りや芸能、演劇や音楽、美術や工芸などの多彩な展開に大きな役割を果たしてきたと位置付ける。
日本の山では、山頂に初めて登って神仏を祀ったという開山者の話しが伝わることが多い。これは「開山伝承」と呼ばれる。開山者には僧侶や俗人を問わず「実名」があり開山の「年号」が伝えられている。「開山伝承を組み込んだ物語」が「縁起」に展開し、次第に歴史化されて現代にまで伝わる。2010年代白山、伯耆大山、国東六郷満山では縁起に基づいて「開山1300年祭」の記念行事が開催され、歴史や伝承を再検討する動きが活発化してきたという。
著者によると、日本の山岳信仰は、古代以来、仏教と結びついて「神仏混合」を展開して長く継続してきた。仏教と山岳信仰とを深く結びつけたのは仏教の「山林修行」だ。すでに『続日本書紀』養老2年(718年)の僧綱への布告で、仏法は「精舎」での学問と「入山」庵窟での修行の二つに分かれていたことを示し、僧侶の中には山林修行者が数多くいた。山林修行を行う山寺も建てられた。
とくに仏教と山岳信仰に深い関係を構築したのは、空海だという。空海の思想の根底には、山での修行で会得した自然との一体感や心身変容の体験があり、それを密教の知識で体系化した。死後も高野山の奥院で生きて救済を続けているとの信仰が広がり、今日に至っているという。
近世中期以降は、民衆の間で「登拜講」が組織されて山岳信仰が大衆化し、今日も山岳登拜は盛んだ。人々は「山との共感」を通して日々の生活を見つめ直し、新たな生き方を発見する。山は人々の「記憶の中の原風景」となり、「想像力と創造力の場」として機能してきたという。
神仏混合については、明治元年の神仏判然令(神仏分離令)によって廃仏毀釈が行われ、神と仏は「強引に切断」された。また明治5年には修験道が廃止された。著者はこれについて、千年以上続いてきた日本人の精神史を「根本から覆した」と厳しく指摘する。
また著者は現代も「大きな転換期」を迎えていると警告を発する。信仰登拜が衰えスポーツ登山が隆盛することによって、大きな変化が訪れているからだ。さらに2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」として高野山、吉野、熊野がユネスコの世界遺産として登録され、2013年には富士山も「富士山─信仰の対象と芸術の源泉」として登録された。山岳信仰が地域振興や観光化に利用される文化資源とされるようになっている。
著者が本書の中で取り上げているのは、出羽三山、鳥海山、早池峯山(柳田国男の『遠野物語』で名高い)、戸隠、日光山などで、それぞれの土地を巡り、開山伝承を詳しく調べ縁起をていねいに読み解いていく。山岳信仰の変遷、修験とは何か、社会、政治との関連、さらに現代にまで連なる事例を明らかにする。
従来、歴史学者は開山の年号や開山者の実在を疑わしいとして研究の対象外としてきたが、著者は開山の思想を「現代の視点」から読み解く必要を訴えている。
(メモ)
日本の山の精神史 開山伝承と縁起の世界
鈴木正崇
発行 青土社
2024年7月25日 第1刷印刷 8月10日 第1刷発行
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