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『超人ナイチンゲール』 栗原康
ひとり遅れの読書みち 第56号
1820年イギリスの富裕な上流階級に生まれたナイチンゲールの評伝だ。「近代看護の母」「クリミアの天使」と呼ばれている女性。看護は賤しい仕事だと言われていた時代に、結婚を拒否し続け、男に依存しなくとも女は生きていけると、看護のみちを切り開いた。著者は、ナイチンゲールを「近代的な人間」を超えた人物「超人」と評し、その生涯を描いていく。日本で見ると、吉田松陰は1830年生まれ、クリミア戦争が始まった53年にはペリー率いるアメリカの黒船が日本にやって来ていた。
新婚旅行で3年間ヨーロッパ各地を巡っていた夫婦がイタリアのフィレンツェで生んだナイチンゲール。貧民への支援を手伝った体験から看護への道に目覚める。当時、看護は貧しい人たちの職業と見なされ、汚ならしく賤しい仕事と見なされていた。上流階級は目をそむけるもの。家族の強い反対を受けた。しかし医療や看護について学び始めた。
なぜ反対されても看護を目指したか。著者によると、「神に命じられた」からだ。「神に身を捧げることと看護師になることがイコールだった」からという。
著者はナイチンゲールが神の命を受けたことを重視する。16歳の時の日記に「神は私に語りかけられ、神に仕えよと命じられた」と書き記した。「神秘体験」「神とひとつになった」と感じる体験だ。
ナイチンゲールは『看護覚え書』の中で、看護について、「他人の感情のただ中へ自己を投入すること」と説明している。苦しんでいる人を見たら我知らず手を差し伸べる。これを著者は「ケア」だと言う。「自他の区別を見失う」「自分が消えてあなたに溶け込む」「うめき声をきいてしまったら自分なんてどうでもよくなってしまう」というわけだ。「自由意志」も「目的」もない。「憑依」とも表現する。「超人」ではない普通の人には、やや理解し難いことだろう。
ナイチンゲールが看護の仕事に取り組み始めたころの1853年、クリミア戦争が始まった。ロシアとトルコの戦いだ。ロシアが黒海西側地域へ進軍し、危機感をつのらせた英仏がトルコを支援、クリミア半島を主戦場とした戦い。死者は75万人に上る。英軍だけで25万人近くが死亡した。コレラなどの感染症による犠牲者も増えていった。
戦争による負傷兵を治療する医療施設の不備が伝えられると、ナイチンゲールは看護団を率いてクリミアに行く決意をする。政府から38人の看護師を率いる団長に任命された。現地の医療施設では、医療や調理についての知識はなく「雑用だけをこなす雑役兵」に病人の世話が任されていた。官僚制の弊害もあった。医師たちからの反発も食らった。著者は、そんな中でナイチンゲールがすさまじい勢いで医療や衛生面での改革を進めた状況を詳細に描く。
戦争が終わると、ナイチンゲールはクリミアで「地獄をみた」との思いから軍の医療改革に取り組む。ヴィクトリア女王の肝いりで王立委員会が設置され、改革が進められた。また看護訓練学校を設立し、看護師を教育する。さらに驚くことに、病院をなくしてしまおうとの考え方を明らかにする。著者が「脱病院化」と表現するもの。病院は「文明の途中のひとつの段階」にすぎないとした。「治療する側と治療される側の垣根を超えよう」との考え方だ。
本書はナイチンゲールの内面に深く迫った評伝と言えるだろうか。死後彼女の墓には生年と死去の年月日、そしてFNというイニシャルだけを書き残した。国民的英雄扱いされなくなかったのだろうと著者は記している。
(メモ)
超人ナイチンゲール
栗原康著
医学書院発行
2023年11月15日 第1刷発行