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『静かなる細き声』 山本七平
ひとり遅れの読書みち 第38回
『「空気」の研究』『日本教徒』などの著者山本七平が「私の歩んだ道」と題して、その半生をまとめた。前半では、キリスト者の家庭に生まれてどのように育ってきたか、人々との出会いでどのような影響を受けてきたかを語る。戦後になってからの後半では、日本の伝統的な思想の深層を探りゆくプロセスが明らかにされる。
単行本としては、山本の死後1年の1992年発行。既に30年以上経っている。が、日本の伝統とは何か、日本はどうあるべきかを考えるうえで、今も価値をもっているだろう。また、宗教についての見方が、欧米や中東諸国と日本ではどう違っているかを知るうえで示唆に富むものだ。
山本はクリスチャンの家庭に生まれ、物心ついた時は既に教会にいた。幼い頃から親に連れられて教会に行き、牧師の説教を聞くなど、キリスト者としての生活が日常だった。新聞は「社会人になって、どうしても読むことが必要になったら仕方がないが、それまではなるべく読むな」と父から言われた。父は内村鑑三の言葉を引用して「新聞を読む時間があれば、聖書を読むべし」だった。同世代の子達と話が合わないこともしばしば。
また、幾人かの人との出会いが、その後の人生にとって貴重だった、とエピソードを交えながら振り返る。
例えば、非常に耳が遠い人。両親はその人が家に来るといつもその人の耳許で大声を出していたという。「静かな、澄んだ、少しも刺(とげ)のない柔和な目」が印象的な人で、その人が「静かな細き声」で話すと、だれもが「その声に耳をすました」体験を語る。「不思議に人をなごやかにする人」だった。
青山学院中等部の時には「聖書への親近感」を強めるような講義を受けたと語る。70人訳聖書について学んだ際に、「聖書とは人間がその一字一字を筆写しつつ、次代から次代へと、気の遠くなるほど長い期間順次に手渡されてきた本である」と教えられた。
また、「怒りを抑える者は、城を攻めとる者に勝る」との言葉を語る人とも出会う。大逆事件で処刑された大石誠之助の実兄であり、父の叔母の夫だった。山本の父が3歳の時にその父を失った後に、大石は親代わりになった人物。後年になって、「信仰の生涯」とはこの言葉と「同質」と知ったとも明かす。
戦後は、『現人神の創作者たち』の中で詳しく論じられているように、江戸時代の儒者を中心とした思想を丹念に読み込んで行く。戦前の天皇制とは何だったのだろう、という疑問の解明を目指したからだ。中でもキリスト者の視点が注目されるだろう。
その中で興味深い点を挙げてみよう。例えば、鈴木正三や石田梅岩などの著作を読むと、宗教が「医(いや)しのための薬」となっていることに驚いたという。「貪欲とか怒りとか愚痴」などの「毒」におかされないように、宗教を「丸薬」として「服用」すればよいという考え方だ。しかも調合の方法は、神道が2、仏教が1、儒者が1の割合にするというように、どの宗教にもこだわらない。
また、「話し合い絶対」という伝統。話し合いで決めて第3者に迷惑をかけないなら、それを正しいと考えること。徳川時代の「南蛮誓詞」という文書を読んだときはショックだったという。「転びキリシタン」が確実に転んだことを誓う文書で、山本によると、「神に誓って神を信じません」という言葉。「転ぶ」のは奉行とキリシタンとの話し合いの結果であり、この結果が「絶対」であるがゆえにその「絶対」を保証する保証人として「神」を引き合いに出しているにすぎない。イスラエルなどの一神教の世界では、信じられない言葉だという。
「静かなる細き声」とは旧約聖書に記された言葉で、預言者エリヤが聞いた神の声だ。エリヤは異教神バアルの預言者たちと戦った人物。「静かなる細き声」を聞く者には、清い心と勇気また忍耐力が求められるだろう。声高に叫ぶ大きな声に周囲の人々が聞き従っても、自ら正しいと思うことをあくまでもやり遂げる力がいるからだ。人口の1%しかキリスト者がいない日本で、山本はその声に聞き従って生きようとした人と評せるだろうか。
(メモ)
静かなる細き声
山本七平
山本七平ライブラリー16より
発行 文藝春秋
1997年11月20日第1刷発行