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『また会う日まで』 池沢夏樹

  ひとり遅れの読書みち 第12号

    著者の大叔父(祖母の兄)秋吉利雄の生涯を振り返る物語である。海軍少将であり、天文学者、しかも熱心なキリスト教徒(プロテスタント)という3本の柱を持つ人物。
    明治25年生まれで太平洋戦争後の昭和23年に死去するまでの生涯をたどることで、秋吉の内面を伺い知るとともに、その人の生きた日本の近代史を私たちも知ることになる。

    18歳の時25倍という倍率をかいくぐって海軍兵学校に入り、42期卒業時には同期生117人のうち16位にはいるというエリート軍人だ。練習艦で世界の港を回りながら海軍大学に進み、さらに東京帝大天文学科で学び卒業する。水路部を率いる部長にまで至る。最後は少将で終戦を迎える。
    一方で親の代からの聖公会所属のキリスト教徒。熱心な信徒であり、日曜学校の教師も務める。結婚相手も信徒だ。祈りも欠かさず礼拝にも出席する。
    それだけにキリスト教の教えと軍人の在りかたには矛盾があるのではないかとの苦悩をいつも抱えていた。軍人はいざというときには人を殺すものであり、「人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」というイエスの教えに全く反するからだ。できるだけ実戦には加わりたくないとの思いで、水路部を選択している。ただ親しくしてきた海軍兵学校同期生には軍艦の艦長となって海に沈んだ者が何人もいた。
    また科学者として論理性、合理性を第1とする頭脳がある。「自然科学と信仰は整合している」と考えているが、それだけにはおさまりきれないのが人間世界だ。
    軍人、科学者、キリスト教徒という3つの木が育って、それぞれ枝葉を広げ、時に重なり時に争う状況と言えるだろう。

    海軍水路部の主務は、航海の準備であり、いわば縁の下の力持ちだ。
    大洋を行く船はもっぱら天測によって己の位置を知る。これなくして目的の港に着くことはできない。天測の計算の基礎として精密な暦が必要。観測の対象となる天体についてその日その時の位置がわかっていなければならない。その文書を航海暦とか天文暦と呼び、それを準備する。また船が目的の港に近づけば所定の位置に係留されるまでの導き手として海図がいる。沿岸の水深やその場所の潮汐の予報が必要となる。それも重要な役割だ。

    時代が大正から昭和へと移るにつれ、太平洋は「平和の海」ではなくなる。
    水路部の部長秋吉には山本五十六連合艦隊司令長官から直接の指令が入り、真珠湾の地形をはじめ潮の動きなど詳細な情報の収集にあたる。パールハーバー襲撃に必要な事項だった。実戦には参加しなかったが、戦争に当然関与することになる。海軍に所属するだけに正確な情報をつかみ、時とともに戦況の危うさを知り、やがて終戦を迎えることになる。

    終戦後、秋吉が病をおって生涯を終えるにあたりなつかしく思い出すのは、1943年1月から3月。太平洋トラック環礁近くのローソップ島での日蝕観測だった。東京天文台、東大、京大から天文学者が集まり、アメリカ人2人も参加するというもので、見事皆既日食の観測に成功している。
    しかもうれしかったのは、観測を終えて離島する時に島民が歌ってくれた讃美歌だったという。植民地時代キリスト教の布教を受け信仰が広がっている島で、そこで歌われたのが「また会う日まで」。本書の題名になっている。秋吉は「信仰は普遍であり、恩寵は行き渡る」と実感したという。
    作品にはこうした讃美歌などいくつかの歌が挿入されている。よく知られた曲ばかりであり、読んでいると、どこからともなく音楽が響いてくる気持ちになり心地よい。
    なおキリスト教徒は日本では1%にも満たない。だが、本書で改めて知らされるのは、明治時代以来キリスト教会が日本にいかに根づこうとして働きかけて来たかだ。聖公会に限っても立教大学、聖路加病院、山梨県清里の開拓などが、秋吉の生涯にもくっきりと姿を残している。
    
   

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