『「太平洋の巨鷲」 山本五十六』 大木毅
ひとり遅れの読書みち 第27号
昭和海軍の連合艦隊司令長官山本五十六については、数多くの評伝が出版されている。戦前から今日まで、山本への評価は大きく転変してきた。「名将」との評価がある一方、「愚将」と指摘の声もある。著者の大木毅は、ここで新しい視座をとる。軍事の専門家としての能力からの分析だ。戦略、作戦、戦術という「三次元」から、山本の能力を分析しようとの試みである。「人間的な側面」については、あえて関与しない。
大木は「三次元」の関係を次のようにまとめる。戦争に勝つための「戦略」を、戦場で実行する方策として「作戦」を立案・配置する。さらにその「作戦」を現場で成功させるために「戦術」をふるう。三つの「階層」とも言える。
大木はまず山本が日独伊三国同盟の締結に強く反対したことに注目する。海軍次官の時だけではなく、連合艦隊司令長官に就任した後でも反対を表明している。この同盟は日米戦争を導くものであり、もし日米が戦えば日本に勝算がないと言明してきた。
1940年9月、近衛文麿首相が日米戦争になったときの海軍の見通しについて尋ねると、「是非やれと言われば、初め半年か一年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、二年三年といわば、全く確信は持てぬ」と応え、日米戦争回避のための努力を行うようにとの願いを告げた。
戦争反対なら「なぜ自ら海相になる、あるいは連合艦隊司令長官の職を睹して抵抗しなかったのか」との批判は、これまでも多くなされてきた。これに対して、大木は、①軍隊の本質は国家の要求に応じて当然の責務を果たす②敵に向かうべき最高司令を受ければ職を辞するわけにはいかない─と指摘、国家が自己の考え方と違った結論を出したとしても、軍人には戦争準備と指揮の責任を放棄するなど許されないことだったと論じる。政治には関与できなかったということだろう。
真珠湾攻撃は戦略・作戦的には「米太平洋艦隊主力の撃破と南方作戦への介入封鎖」という目的を達成し、戦術的には「極小の損害で最大の戦果を得た」として、山本の「最高傑作」だったと評する。
「現有勢力をフルに活用して短期間のうちに、アメリカ国民の継戦意志をくじくような手痛い打撃を連続的に与える戦略」に山本は「一縷の望み」を託した。戦況が有利に進んでいるときに思いきった譲歩を条件にして講和に乗り出してほしかった。だが実際には「しっかり手を打ってくれる政治家」はいない。山本にとって無念の思いだった。
和平のきざしが見えないなかで、次にどんな手を打つか。「第2段作戦」をどう立案するかが問題になってきた。
連合艦隊としては、ミッドウェイ攻略作戦を立てる。ハワイやセイロンを攻略するという案も出たが、陸軍の協力が得られない状況であり、海軍だけでの米艦隊撃破の作戦を考案した。しかし軍令部は賛成しなかった。双方は妥協して「急ごしらえで、ずさんな計画」を進めることになる。結果は、米海軍によって大型空母4隻を失うという敗北だった。
大木は、ミッドウェイ攻略を目標とした作戦は正しかったと見る。しかし山本は「戦略目標の明確化」という原則を守らず、軍令部と妥協して「総花的な計画」を認めてしまった。これが作戦次元の「目標の多重化と兵力分散」を招き、敗北に結果したという。「戦略的失敗」だったとの判断を示す。
戦術次元に関しては、空母対空母の戦いになるときに、空母の護衛兵力を十分整えなかった。しかも大和などの戦艦群を援護不可能な位置に配置し「戦術的怠惰」に陥っていたと指摘する。ここで「短期間の集中打撃」で米国を和平に追い込むという山本の望みは完全に断たれた。
次のガダルカナル戦役でも、米艦隊の撃破とガダルカナルの奪回という2つの目標の間で動揺していた
「作戦次元」の山本は真珠湾攻撃を除けば「愚将」とは言わないまでも「平凡」、場合によってはそれ以下の指揮しか示していないと、大木は厳しい。しかし「戦略次元」では高く評価する。
①航空総力戦を予想しての軍戦備の推進②日独伊三国同盟は必然的に対米戦争につながるとの洞察③対米戦争は必敗との認識─など戦略的センスが光ると語る。そして「戦術・作戦次元の能力には疑問が残るとはいえ、戦略次元で卓越した識見と決断を示した戦略家・用兵思想家であった」と結論づけた。
(注)「太平洋の巨鷲」 山本五十六
用兵思想からみた真価
大木 毅
角川新書 2021年7月10日 初版発行
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