【原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち】と【後世への最大遺物】 ⑧は、寄り道
人が常に管理し続けなければならないということは人が管理できないのと同義である
「私が原発を止めた理由」第1章 ハイデッガーのことば
⇧「原子力規制委員会はいったい誰のための組織なのか。」と問うている。
「長期評価に沿って防災対策をしていれば1万8000余りのうちかなりの命が救われただけでなく、原発事故も起きなかったと思います」
「このくらいの地震で被害が出るようでは、本当に大きな地震がきたら大変なことになりますよ」(大阪府北部地震の数日後のインタビューだった。)
島崎氏は政府の地震調査研究推進本部(地震本部)で研究していた。1995年の阪神・淡路大震災の年、地震の調査研究を集約するための組織で、地震に関する知見を十分に生かすことができなかった反省から生まれたという。
「島崎氏は地震本部で、2012年までの17年間にわたって「長期評価部会」の部会長を務めた。」
〖長期評価部会〗
「過去にどういう地震が起きたのかを議論し、今後に起こる可能性を評価する部会です。論文などのほか、古文書も使い、歴史上の地震を分析しました。評価対象は、マグニチュード7程度の非常に大きな地震です。その規模以下の地震はいつどこで起きても不思議はない。だから大阪くらいの地震で被害が出るような状態は、とんでもないことなんです」
──評価対象は、マグニチュード7程度の非常に大きな地震
その規模以下の地震はいつどこで起きても不思議はない
大阪府北部地震 M6.1 806ガル 震度6弱
〖地震の長期評価〗
「プレート境界や活断層で起きる大地震を対象に、長期的な発生可能性を「確率」などで示すもの」
「島崎氏らのグループは2002年6月、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」を取りまとめ」た。
「その予想震源域は、東日本大震災の震源域に重なる。」
──予想震源域は、東日本大震災の震源域に重なっていた
「報告書は翌7月、親会議の地震調査委員会で承認、決定された。」
──そのあと妙なとこになった。
「(報告書などは)内容が決まると早ければ同じ週か、翌週には発表されていた。ところが、あのときは2週間経っても発表されなかったんですね」
「7月26日になって、地震本部事務局の担当者から島崎氏にメールが転送されてきた。元の発信者は内閣府の防災担当者。福島沖などで地震が起きる保証はない、として報告書を批判し、発表の先送りか、前書きに一文を追加するか、どちらかを選ぶよう求めていた。」
──福島沖などで地震が起きる保証はない、として報告書を批判
追加の文案 (前書きに追加する文を示す親切)
「なお、今回の評価は(中略)限界があることから、評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある。」
──予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある
おかしい、原発差止め裁判のときは、電力会社の地震予測が通っているのに、地震に関する知見を十分に生かすことができなかった反省から生まれた組織の研究成果は怪しいもの扱い。
「この報告書は信用できない、対策はしなくていい──。そう言いたいのだ、と島崎氏は感じた。」
──この報告書は信用できない、対策はしなくていい
島崎氏は、翌日土曜の夕方に地震本部事務局課長に電話した。
「『こんな前書きを付けるようなら出さないほうがいい』と抗議したんです。ケンカ別れになりました」
「修正要求の理由ですか? 省庁間のあつれき、縄張り……。最初はそんな理由だろうと思っていたんです。でも後でよく読むと、明らかに、福島に影響を及ぼす津波地震がターゲットになっている。結局、前書きに(あの文章は)追加されました。本文は一つも変えていませんが……。いま思うと、事務局は頑張ったんだろうと思います。圧力に対し一定のところで踏ん張った、と。だって、2011年の第2版に至っては(後に明らかになったように)電力会社に見せて(その要求を事務局が受け入れて内容を)直したんですから」
──でも後でよく読むと、明らかに、
福島に影響を及ぼす津波地震がターゲットになっている
第2版に至っては(のちほど出できます。)
〖中央防災会議』
「政府の組織」「大地震の発生可能性を見極める場」
「会長は内閣総理大臣。防災行政の総本山で、関係閣僚らが委員を務める。ここに2003年7月、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」が設置され、島崎氏もメンバーになった。(2003年-平成15年~2006年-18の総理大臣は小泉純一郎氏)」
「島崎氏は当然、判断のモノサシとして、長期評価が採用されると考えていたが、実態は違った。」
──実態は違った
出たな妖怪!「やってます!」感だけで中身をなくす「妖怪」が跳梁跋扈。
「長期評価が想定している震源域は、太平洋にある日本海溝
太平洋プレートが日本に向かって沈み込んでいく場所で、
その構造は三陸沖から房総沖まで同じ。
だから、三陸沖から房総沖のどこでも大きな地震が起きる可能性があるんです」
「1896年には巨大津波を伴う明治三陸地震があった。地震学の常識からすれば、次に起こる地震の震源域は、その南側、まだ地震が起きていないエリアです。400年間も大きな地震が起きていない福島沖は『本来起きるはずのものが起きていない』わけで、『そろそろ起きてもおかしくない』という意味です。だけど、中央防災会議は『科学的に考えたら南が気になるけど気にしなくていい』という結論にした。もう、むちゃくちゃです」
──中央防災会議は『科学的に考えたら南が気になるけど気にしなくていい』という結論にした
「中央防災会議の専門調査会は2005年、過去に巨大地震や津波の記録がなかった福島沖」を、「今後も大きな地震は起きないとして検討対象から外した。」
──今後も大きな地震は起きないとして検討対象から外した
「今後も再び起きる可能性を「否定できない地震」に備えるべきだとした長期評価とは全く異なる方針である。」
検討対象から外す決定は島崎氏が欠席した会合でのことだった。
「東日本大震災の犠牲者の8割近く」が、「岩手県の陸前高田市より南側で津波に遭遇」した。「これら地域の津波の高さは、中央防災会議による2006年の想定より2〜5倍も大きかった。」と島崎氏。
「もし、中央防災会議が長期評価に沿った対策を決め、福島沖でも巨大津波を伴う地震が発生する可能性を直視して宮城県南部や福島県でも防災対策を進めていたら」
「1万8000余りのうちかなりの命が救われただけでなく、福島の原発事故も起きなかったと思います」
と島崎氏は、東京電力元会長ら3人の刑事裁判(業務上過失致死傷の罪で強制起訴)で証言した。
「2002年にできた「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」から9年後、地震本部地震調査委員会は改訂版の「第2版」を作成した。初版の後、地震本部と複数の大学、研究機関が連携した研究により、貞観地震(869年)による巨大津波の痕跡が判明した。
その巨大津波は、宮城県から福島県にかけて陸地深くまで入り込んでいた。福島第一原発の立地エリアもそこに含まれている。」
──福島第一原発の立地エリアもそこに含まれている
「第2版は、このエリアでの防災対策に留意すべき」という項目も追加、「第2版は、東日本大震災の2日前、2011年の3月9日に地震本部で決定して公表し、その日の夜にはテレビのニュースで報道される段取りだった」と島崎氏。
「ところが、再び「横やり」が入る。
2月中旬、地震本部の事務局から島崎氏に「決定を1カ月延期したい」という連絡が入った。「3月の会合では決めることが多いから、という理由でした。私もそのまま了承してしまった」
2日後、東北地方を巨大津波が襲う。島崎氏はその模様を出先のテレビで見ていた。」
島崎氏は自分を責めた。
「なぜ発表を遅らせたのか、って。延期を了承してもしなくても、事態は変わらなかっただろうとは思います。起こるべくして、大地震は起こった。だけど、2日前とはいえ、発表できていれば、かなりの方が救われたのでは、と思って……」
地震本部が発表を延期してその間にしていたことがある
「政府の事故調査委員会報告書などによると、
報告書案を電力会社や経済産業省の原子力安全・保安院(現・原子力規制委員会)に事前に見せ、その後、貞観地震の記述などに関して信頼性を下げるような修正を加えていたことが分かっている。」
──事前に報告書案を電力会社などに見せてあげて、
貞観地震の記述などに関して信頼性を下げるような「修正」をした
これを犯罪と言わないのだろうか?
事前に見せてあげて、信頼性を下げた人たちは何を感じた?
何を考えた?
頭の中で「ハラ軍曹」がニカッと笑って「戦メリ」が流れる──ハラ軍曹は、考えた、考えることは、少なくともした。
巨大津波を事前に予想できたか
「それも争点になっている東電刑事裁判で証人に立ったとき、島崎氏は第2版の発表遅れによって「多くの命が救われなかった。責任はあると思った」と声を詰まらせた。傍聴席には、原発事故による避難者も多数詰めかけていた。しんとした法廷では、鼻をすする音も聞こえた。」
原子力規制委員会(規制委)時代の出来事
「いろいろ、めげることもありました。そんなときに奮い立たせてくれたのは、避難者の手記です。阪神・淡路のときのものもある。東日本大震災、原発事故のものもある。いくつか自分で持っていて、あれを読むのが一番のクスリになる。二度とこんなことは起こさないようにしたい、オレはまだ頑張るぞ、って」
〖原子力規制委員会〗
「原発事故後、原発の規制を担っていた経済産業省の「原子力安全・保安院」と、内閣府の「原子力安全委員会」を統合」
「島崎氏は規制委の委員長代理に就き、原発の安全審査を担当していく。」
「しかし、地震の専門家が原発の安全性を審査できるのだろうか」
というインタビュアーの疑問に島崎氏は、
「(原発事故の後)科学が疑われる状況になった。これはとんでもないことです。科学が悪いんじゃない。(自らの利益などのために科学的な知見を無視したり、ねじ曲げたりするなど)自分勝手な科学をつくり出す人が悪いんです。原発はよく知らなかったけれども、規制基準が悪いというより、審査に問題があると思っていた。そこを直すことで科学を疑う人をなんとかしたい、そのために2年間やってやろう、と思いました」
と答えた。
規制委として原子力に関わって
「電力会社に対する信頼を失いました。全てとは言わないけれども、いくつかの電力会社は特に。
真っ当な学者からすると、ビックリすることを電力会社はやってくる。提出資料のやり直しを指示しても、同じものを何度も持ってきたこともありました」
福井県の若狭湾沿いに立地する原発の地下構造について関西電力から説明を受けたときは、心底驚いたという。
規制委は、原発の地下構造を詳細に調査するよう電力会社に義務付けていた。(←過去形になっているが)
地下構造は、少し離れただけでも変化し、揺れ方が変わると考えられているからだ。実際、例えば、2009年の駿河湾地震では、中部電力の浜岡原発(静岡県)の5号機が他の号機より2倍以上も揺れている。
「それなのに若狭湾の原発(大飯、高浜)について、関西電力は敦賀半島での調査を全部の原発に流用していた。そんなのダメに決まってます。あり得ないですよ」」
──「性能試験」のデータをごまかしたとか、試験してるふりしてたとか、ちょこちょこ新聞沙汰になっているが、電力会社は不正を不正とも認識しないようだ。しれーっとして、終わり。原発の差止め裁判で裁判官が、高度な学術的問題なんて目眩ましされてる中身のお粗末さ。これで万事うまくいっているから、ばかにして「流用」データなんか出して恥じない。
こんな人たちと関わっていては、疲弊するばかりじゃなかったろうか。
──あり得ないからあり得ないと言っているだけの島崎氏を、
原子力側はまともなデータすら出さないでおきながら、「厳しすぎ」「審査が長引いている」と批判。
「ぜんぜん厳しくない。地震学者として普通にやっていただけです。
彼ら(電力会社)は最低線を探ってくるんです」
「最低線とは、安全対策などに投じる費用を極小化する目的を優先させ、
いかに低コストで再稼働させるか、そのギリギリのラインを探る、という意味だ。」
「ごまかせるのであれば、それでいいという感覚ではないでしょうか。安全文化が大事などと言葉では言いますが、そんなものはない。それが私の印象です」
*インだビューはもう少しつづきますが、ここで──
福島第一原発の過酷事故後にも、原子力推進派には連帯の思いが生じなかった。これも過酷な事実だ。
避難を余儀なくされた人たち、被爆したアメリカ兵たち、カタストロフィーを回避するために命がなくなるかもしれない覚悟で働いた人たちは、いないも同然だ、原子力推進派には。
「狼のまつげ」が無かったとしても、見えすぎるほど見える。
⇧この記事を読んで、え、おかしいじゃないか!と思って、参照できるものを検索して、⇩の記事を読みました。
わたしには文字を追うのが精一杯で、民事裁判と刑事裁判は視点が違うのかとか、民事裁判の判決が否定されたわけじゃないのか?くらいしかわかりませんでした。でも、大事な気がするので──100回くらい音読したら、わかるのかなー?
「私が原発を止めた理由」つづく
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