『ビルド・ア・ガール』:2019、イギリス
1993年、イングランドのウルヴァーハンプトン。16歳のジョアンナ・モリガンは、エンヴィル中学校に通っている。彼女は図書館の本を全て読んだが、自分のような子の話は見つからなかった。ヒロインには人生が変わる瞬間があるが、ジョアンナには未だに訪れていない。
新しい冒険は大抵の場合、謎の男の登場で始まる。しかしジョアンナは周囲を見回し、この町で見つけるのは難しいと確信した。彼女は男に頼らず、自分で冒険を始めようと決心した。
ジョアンナは最高の作家になり、世界を旅しながら男と寝て、読者の人生を変える真実を書く夢を抱いている。彼女は父のパット、母のアンジー、兄のクリッシー、弟のルパン、生後間もない双子の赤ん坊、愛犬のビアンカと共に暮らしている。38歳で妊娠したアンジーは、産後鬱になっている。ジョアンナは自分の部屋を与えてもらえず、クリッシーの部屋を壁で分けている。
ジョアンナは壁にドナ・サマーやフロイト博士、ブロンテ姉妹やカール・マルクスなどの著名人の写真や絵を飾り、いつも話し掛けている。彼女は写真や絵に対し、「爆発したい。車持ちの男とセックスしたい」と漏らした。
パットは自宅でドラムを叩くのが趣味で、クリッシーはロックバンドが好きで同人誌を作っている。テレビ番組『青年詩人』に応募したジョアンナは、決勝進出の発表を見て大喜びした。彼女はクリッシーに、「ここから出て作家になる。テレビに出れば絶対にモテるはず」と話す。
ジョアンナは国語教師のベリングから出された作文の課題で、本来は5ページでいいのに33ページも書いて提出した。ベリングは彼女に、「貴方には才能があるけど、少し自分を抑えて」と助言した。
ジョアンナはパットに車で送ってもらい、『青年詩人』の生放送があるバーミンガムのテレビ局へ赴いた。進行役の男性は、「アイデアの素は変わった家族の職業。ボーダー・コリーの繁殖」と紹介した。マイクの前に立ったジョアンナは緊張し、途中で番組ホストのアランに歩み寄って変な絡み方をした。彼女は当然の如く優勝を逃しただけでなく、翌日には同級生のカールたちから馬鹿にされた。
社会保障省の女性職員はパットを訪ね、障害者手当を不正受給しながら犬の繁殖をしていることを指摘した。ジョアンナのテレビ出演で、そのことが露呈してしまったのだ。パットは返金を余儀なくされ、一家はテレビを含む複数の家財道具を失った。
ジョアンナが落ち込んでいると、クリッシーは音楽情報誌『D&ME』がロック批評のライターを募集している広告を見せた。ジョアンナはロックを全く訊かないので、クリッシーにレコードを貸してもらおうとするが、断られた。
そこで彼女は家に遭った『アニー』のテープを聴き、批評を書いて出版社に送った。面接の電話が掛かって来たので、ジョアンナはロンドンの出版社へ赴く。しかし編集者のダービーたちは本当に16歳の『アニー』の批評を書いたのか賭けをしており、それを確かめるために呼んだだけだった。
ジョアンナはダービーに、「批評は面白かったが、ウチには合わない」と不採用を通告された。ジョアンナは「やっぱり私はイケてない」と落胆するが、すぐに気持ちを切り替えた。
彼女は編集部のケニーやアンディー、プライシーたちに、「私の文章が面白いなら、バンドのことは学べる」と売り込んだ。マニックスの記事を担当するトニーが「バーミンガムまで行くのは面倒だ」と言い、ジョアンナは彼の代役としてトライアルの記事を任された。
ジョアンナはクリッシーに金を貸してもらい、見た目を大きくイメージチェンジして「ドリー・ワイルド」と名乗ることにした。彼女は父の車でバーミンガムまで送ってもらい、マニックスのライブを見て批評を執筆した。
ジョアンナの記事は掲載され、そこから次々に批評を書くようになった。ジョアンナは稼いだ金で家財道具を買い戻し、一家の生活は潤うようになった。ドリー・ワイルド演奏を聴いてもらうため、ジョアンナの家まで来るバンドも現れた。
ジョアンナはトニーに「もっと大きく進みたい」と相談し、「世界は大きな前進を求める女性を歓迎する」と助言された。ジョアンナはダービーに、「特集を書きたい。バンドにインタビューしたい」と頼む。タービーは彼女に、ダブリンで歌手のジョン・カイトと会うよう指示した。
ジョアンナはダブリンへ行き、パブでカイトと会った。カイトは彼女が取材に不慣れだと気付き、逆に質問した。ジョアンナを気に入ったカイトはライブハウスに連れて行き、ステージに上げて客に紹介してから歌を披露した。
ジョアンナはカイトに惹かれ、ホテルの部屋でインタビューした。「なぜ悲しい歌をうたうの?」と問われたカイトは、「家は貧しく、母は妹3人を産んで病気になった。見舞いに行ったが、俺たちに触れたがらなかった。母が自殺した時は、彼女のコートを来て妹たちを抱き締めた」と話す。
彼は酒を飲んでおり、「全てオフレコだ」と告げた。「君の真実を1つ教えてくれ」とカイトが言うと、ジョアンナは「予定外の双子が生まれて、ママは変わった。昔のママに会いたくて、私は書き続けているんだと思う」と語った。
ジョアンナはカイトに恋をした気持ちのままで記事を書き、ボツにされた。まるで文章が書けなくなった彼女は、トニーに「見えない壁にぶつかった」と相談する。「これは戦争だ。俺たちの仕事は、本物以外のバンドを蹴散らすことだ。ファンか記者か決めろ」と言われたジョアンナは、嫌われる覚悟が必要なのだと考えた。
彼女はバンドやミュージシャンを酷評する記事を書き始め、人気に火が付いた。彼女は多くの男性と肉体関係を持ち、クリッシーに体験談を語った。
パットはジョアンナに刺激され、車を売却して「マヨネーズ」のバンド前でレコードを作った。彼はジョアンナにレコードを渡し、有名にしてくれと頼んだ。ジョアンナは父のレコードを持参し、D&MEの品評会に参加した。
編集者がレコードを掛け、ダメだと判断した場合は「キル」としてショットガンで撃ち落とすのが恒例行事となっていた。パットのレコードは少し音が流れただけで「キル」と即決され、ジョアンナはショットガンで撃った。
ジョアンナはD&MEのパーティーに参加し、クソったれオブ・ザ・イヤー賞に選ばれた。会場でカイトを見つけた彼女は、「真実を1つ言ってくれ」と頼まれて「貴方に恋してる」と告白した。ジョアンナがキスしようとすると、カイトは「出来ない」と断った。ジョアンナは以前にカイトがオフレコだと言っていた内容を、全て記事に書いた。彼女は学校で傲慢に振舞い、ベリングに注意されると「若い内に楽しむ」と告げて退学した。
家族に苦言を呈されたジョアンナは「私を批判酢する資格は無い」と反論し、口汚く罵って家を飛び出した。彼女は編集者たちのホームパーティーに参加し、正式な社員に誘われて喜んだ。しかし彼らが陰で自分を馬鹿にしていると知り、「アンタたちは嘘を書いて子供みたいに壊し続けてるだけ。もう付き合ってられない」と告げて去った…。
監督はコーキー・ギェドロイツ、原作はキャトリン・モラン、脚本はキャトリン・モラン、製作はアリソン・オーウェン&デブラ・ヘイワード、製作総指揮はキャトリン・モラン&ダニエル・バトセク&オリー・マッデン&スー・ブルース=スミス&ティム・ヘッディントン&リア・ブマン&ジギ・カマサ&エマ・バーコフスキー&エマ・バーコフスキー、共同製作はボニー=チャンス・ロバーツ、撮影はヒューバート・タクザノウスキー、美術はアマンダ・マッカーチュ、編集はゲイリー・ドルナー&ギャレス・C・スケイルズ、衣装はステファニー・コリー、音楽はオリ・ジュリアン、音楽監修はニック・エンジェル。
出演はビーニー・フェルドスタイン、パディー・コンシダイン、サラ・ソルマーニ、エマ・トンプソン、クリス・オダウド、アルフィー・アレン、フランク・ディレイン、ローリー・キナストン、アリンゼ・ケニ、タイグ・マーフィー、ジギー・ヒース、ボビー・スコフィールド、アンディー・オリヴァー、マイケル・シーン、スー・パーキンス、メル・ジードロイク、アレクセイ・セイル、リリー・アレン、ジェマ・アータートン、ジャミーラ・ジャミル、ルーシー・パンチ、シャロン・ホーガン、ドーナル・フィン、ステラン・パウエル、ジョアンナ・スキャンラン、パッティー・フェラン、ヴィッキー・ペッパーダイン、エドワード・ブルーメル、ハメッド・アニマショーン他。
―――――――――
キャトリン・モランによる同名の自伝的小説を基にした作品で、脚本も彼女が担当している。監督のコーキー・ギェドロイツはテレビ畑で活動している人物で、映画を撮るのは1999年の『Women Talking Dirty』以来となる。
ジョアンナをビーニー・フェルドスタイン、パットをパディー・コンシダイン、アンジーをサラ・ソルマーニ、アランをクリス・オダウド、カイトをアルフィー・アレン、トニーをフランク・ディレイン、クリッシーをローリー・キナストンが演じている。ラスト直前でジョアンナが面接を受ける出版社編集長のアマンダを、エマ・トンプソンが演じている。
最初に気になった欠点を挙げておく。粗筋でも触れたように、ジョアンナには「著名人の写真や絵を飾り、話し掛ける」という設定がある。その際、著名人の写真や絵は動いて言葉も発する。もちろん、それを演じているのは本人ではなく役者だ。
ただ、歴史上の人物なら別にいいんだけど、ビョークが話し掛けるシーンで「ここは本物だったらなあ」と思っちゃうんだよね(明確にビョークと紹介されるわけじゃないけど、明らかにビョーク)。そこが本物かどうかで、作品の質は大きく変わって来ると思うのよ。だから、逆に著名人は、全て故人に限定しておいた方が良かったんじゃないかなと。
冒頭、ジョアンナは女性の人生を変える冒険を始めさせる存在として、『高慢と偏見』のダーシー、『ジェーン・エア』のロチェスター、『風と共に去りぬ』のレット・バトラーを例に挙げる。
かつての映画であれば、ヒロインが踏み出す時には必ず男の助けを必要としていた。しかし最近はウーマン・リブが当たり前で、むしろ「ヒロインが男に導かれる」という話を作った方が、ポリコレにうるさい面々からの批判を浴びる恐れがある。ディズニー・プリンセスでさえ、自力で道を切り開く時代になっているのだ。
ジョアンナは退屈で道足りない人生にウンザリしており、そこから一刻も早く抜け出したい、特別なことが起きてほしいと願っている。彼女と同年代であれば、自分には才能が溢れていると信じて大きな夢を抱き、華やかな世界へ飛び出したいと思う人は少なくないだろう。
ただしジョアンナの場合、ただ向こうからチャンスが来るのを期待しているだけでもなく、何かが起きるのを漫然と待っているだけでもない。積極的に行動を起こし、自らの力で道を切り開こうとする。
ジョアンナはエネルギーが有り余っているが、その使い道が無くて困っている。だから自分の才能が披露できそうなチャンスを得ると、そこに過剰なほどのパワーを注ぎ込む。加減など全く考えず、常に全力で取り組む。なので、時には空回りすることもある。
ジョアンナはテレビ番組への出演でチャンスを掴むが、所詮は井の中の蛙なので、大きな舞台に立つと緊張して変な行動を取ってしまう。何の根拠も無かった自信は、あっさりと打ち砕かれる。
ジョアンナはテレビ出演のせいで同級生から馬鹿にされ、一家の稼ぎやテレビを失う。だが、彼女はそれで「二度と目立とうとしない」と後悔して引きずったり、「自分には才能が無いのだ」と確信したりするタイプではなかった。一度の挫折で、簡単に諦めることは無かった。
ポジティヴ・シンキングの人であるジョアンナは、すぐに次のチャンスを見つけて飛び付く。『D&ME』の面接でも不採用で落ち込むが、やはり直後に気持ちを切り替えて自分を売り込んでいる。
ジョアンナは面接で不採用になった後、トイレで「やっぱり自分はイケてない」と落ち込む。しかしビョークの広告写真に励まされ、すぐに前向きな気持ちを取り戻している。
そのビョークはジョアンナが生み出した幻想なので、ようするに本人の中にあるポジティヴな感覚が一瞬だけ脳裏をよぎったネガティヴな感覚を打ち消しているわけだ。不安や迷いが生じても、「私はイケてる。才能がある」という自信が消え去ることは無く、前に突き進むのだ。
そんなヒロインを演じているのが、お世辞にもスレンダー美女とは言えないビーニー・フェルドスタインってのは、この映画の大きな強みになっている。ジョアンナを誰の目にも明らかなスレンダー美女が演じていたら、「そりゃあ、そんなに見た目が良ければ、自信もあるでしょうよ」という気持ちにさせられる恐れが高い。
ビーニー・フェルドスタインだから、ポジティヴ・シンキングまっしぐらな生き方も心地良く見ていられる。ジョアンナは自信満々なので、成功してからは言動に傲慢さが目立つようになるが、それでも不快感が少ないのはビーニー・フェルドスタインが演じているからだ。
ボロクソに酷評する毒舌ライターとして人気を得たジョアンナは天狗になり、家族を見下したり、親身になって助言してくれる教師に反発したりする。D&MEの面々との交流が増え、浮かれた世界に染まる。そして彼女は学校を辞め、家族を見限り、D&MEの面々がいる業界の住人になろうとする。
だが、本気でそこに入り込もうとした時、D&MEの面々が本気で自分を仲間として受け入れているわけではなく、馬鹿にしていたことを知る。ここには、ハッキリとした形での女性蔑視がある。
大まかな枠組みとしては、「成功を夢見る主人公が華やかな世界に憧れ、導いてくれる人物と出会って憧れの世界に飛び込む。成功者の仲間になって今までの場所や人間関係を全面的に否定し、調子に乗って浮かれる。しかし過ちに気付き、かつての場所へ戻る」という話である。
これって実は、昔から多くの映画で使われて来たフォーマットだ。だから当然の帰結として、D&MEの真実を知ったジョアンナは後悔し、家族の元へ戻る。彼女から馬鹿にされたり罵られたりしていた家族は拒絶せず、優しく迎え入れてくれる。
ジョアンナはボロクソに酷評していたバンドに謝罪の電話を入れ、カイトにも直接会って詫びる。そして彼女は見た目を変え、「ドリー・ワイルド」ではなく「ジョアンナ・モリガン」としてやり直す。面接を受けた出版社に記事を採用され、コラムも依頼されるのは、さすがに「上手く事が運び過ぎでは」と思わなくもない。
ただ、映画の最後に、ジョアンナはカメラ目線で「自分作りの途中で道を間違えたと気付いたら、やり直せばいい。諦めずに、何度でも作っては壊すの。変化し続ければ、きっと気付く。全ては貴方自身のためよ」と語り掛けるのだ。それは世の女性の背中を押そうとするメッセージであり、これを発信するためには、そこまでのハッピーエンドが必要だったということなんだろう。
(観賞日:2023年4月5日)