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ハリウッドも認めた異能の映画人・佐野雷次 (note改訂版)

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佐野雷次は1960年代から1980年代に掛けて活躍し、主にアクション映画やホラー映画を手掛けた監督・俳優である。雷次はアメリカにも進出して地位を築き、2009年に発表された映画雑…
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#アクション映画

《二十四. 邪法の続きと、久々の再会 》

1981年12月、『邪法兵衛』は全国公開された。  ケレン味たっぷりに演出されたアクショ…

《二十三. 邪法で挑んだ時代劇 》

 『ガンマン、サムライ、モンスター!』の撮影後、雷次はアメリカでの活動を休止し、日本へ戻…

《二十二. 侍とガンマンとモンスター 》

 アメリカに進出してからの雷次は、監督作は二本ともホラーで、出演作もシリアスな作品が続い…

《二十一. 狂気の悪役、ライジ・サノ 》

 『ママ』の公開と同じ年、雷次は再び俳優としてアメリカ映画に出演している。  製作サイド…

《十八. 雷次、アメリカで侍になる 》

 一週間のアメリカ旅行を終えて、雷次は日本へ戻った。  帰国した彼が復帰一発目の仕事に選…

《十六. 雷次、異空間の殺し屋になる 》

 「どうする?やっぱり、またホラー映画で行くか。俺は、それがいいと思うが」  雷次プロの…

《八. 峰岸徹を走らせろ 》

 田宮の解雇で会社の屋台骨が傾く中、永田は経営立て直しの戦略として、一人の若手俳優を売り出すことにした。  峰岸隆之介、後の峰岸徹である。  峰岸は六本木野獣会(六本木で遊んでいた若者たちのグループ。田辺靖雄や加賀まりこ、井上順など、多くのメンバーが後に芸能界入りする)に所属していた1961年に東宝からスカウトされ、翌年には峰健二の芸名で映画デビューしている。  東宝で数本の映画に出演した後、峰岸は俳優座養成所に入り、そこから文学座の研究生となった。1968年に入り、大映が

《七. 田宮二郎が二人いる 》

 大映では「時代劇は京都撮影所、現代劇は東京撮影所で製作する」という住み分けがあり、雷次…