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《二十四. 邪法の続きと、久々の再会 》
1981年12月、『邪法兵衛』は全国公開された。
ケレン味たっぷりに演出されたアクションは話題を呼び、それまでに雷次プロが手掛けた映画の中で最高の観客動員数を記録した。
これを受けて、すぐに雷次は続編の製作へと取り掛かった。
『続・妖民の島』では百田に監督を譲り、『魔銃変 第二章』でも出演に専念した雷次が、初めて続編の製作に対して前向きな姿勢を見せたのだ。
ただし雷次には、「続編を作る」という意識は無かった。
「『妖民の島』にしろ、『魔銃変』にしろ、俺の中では、そこで話が完結していた。だから続編には乗り気になれなかった。だけど、今回は違う。実は、『邪法兵衛』には、もっと長いプロットがあるんだ。一作目は邪法兵衛の登場編といった感じで、それがヒットしたら残りの部分も作ろうと思っていた」
雷次は百田たちに、そう述べた。彼は最初から、『邪法兵衛』を三部作としてイメージしていたのだ。
そこで続編に関しては、二作目と三作目の企画が同時に進められた。二作目がコケると三作目の公開も難しくなるが、それだけ雷次には自信があったということだ。
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『邪法兵衛 忍びの風刃』
〈 あらすじ 〉
打野法兵衛(佐野雷次)は師匠の墓参に行くため、田舎道を歩いていた。立ち寄った茶店で、彼は母・おふく(峰寺周子)と娘・お久美(豆田真美)という親子に出会った。二人組の男たちが母娘に難癖を付けていたので、法兵衛は追い払ってやった。
二人組は、お久美の兄・庄助(宇野角人)に金を貸しており、その取り立てに来たのだった。母娘の話によれば、庄助はほとんど家に帰らず、大鶴山に入って財宝を探しているという。庄助の父は、豊臣の時代に隠された財宝が大鶴山に眠っていることを示す巻物を手に入れ、発掘に没頭した。その父が死んだ後、庄助も財宝探しに躍起になっているのだという。
おふくもお久美も巻物の内容を信じておらず、大鶴山に宝など無いと思っていた。庄助には財宝探しをやめてもらい、真面目に働いてほしいと願っていた。師匠の墓がある大鶴山へ行くことを法兵衛が話すと、母娘は庄助に会った時の伝言を頼んだ。
大鶴山に入った法兵衛は、目付きの鋭い男たちと遭遇した。彼らは法兵衛を警戒し、山に来た目的を尋ねた。墓参りだと法兵衛が告げると、男たちは疑いつつも立ち去った。しかし法兵衛は、その内の一人が密かに尾行していることに気付いた。
墓参を済ませた法兵衛が山を降りようとした時、言い争うような声が聞こえた。行ってみると、先刻の男たちが一人の若者を取り囲んでいた。その若者は庄助だった。法兵衛は、庄助に襲い掛かろうとした男たちを追い払った。
その男たちは、忍者の津田弥五郎(伊達隆磨)が首領を務める組織の連中だった。豊臣家に仕えた仙丈一族の血を引く弥五郎は、幕府転覆の野望を抱いていた。財宝の存在を知った彼は、それを手に入れて軍資金にしようと考え、邪魔な庄助の始末を目論んだのだ。
危険だから下山すべきだと法兵衛が説いても、庄助は従おうとしなかった。法兵衛は彼を気絶させ、おふくたちの元へ連れ帰ることにした。だが、そこに弥五郎が立ちはだかり、飛び道具の風刃で攻撃して来た。法兵衛の術は飛び道具には通用せず、彼は深手を負ってしまう……。
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『邪法兵衛 忍びの風刃』における最大のポイントは、敵の首領が風刃(長い紐が付いた手裏剣のような武器)という飛び道具を使うことだ。
一作目の相手は侍であり、接近戦闘だった。だから相手を投げ飛ばしたり、体に触れて動きを止めたりすることが可能だった。しかし離れた場所から攻撃された場合、どうやって法兵衛は対抗するのか。それが一番の見所である。
深手を負った法兵衛は、おふくとお久美の手当てを受けた後、再び弥五郎と対決する。その時、法兵衛は師匠から教わったことを思い出し、対処方法を考え付く。
まず相手の攻撃に対しては、飛び道具ではなく相手の腕や体の動きに意識を集中させ、その意波を読んで武器をかわした。
弥五郎を倒す方法としては、「意波を飛ばす」という奥義を使用した。自らの意波を体の外に放出することで、離れた位置にいる相手にそのパワーを伝えることが出来る。法兵衛が手のひらをかざして腕を突き出すと、数メートルの距離にいた弥五郎が投げられたり、吹っ飛んだりする。大量のエネルギーを必要とするので、軽々しく使うことは出来ない、とっておきの技である。
この奥義の設定に関しては、雷次は合気道や柔術だけでなく、中国武術における気功からもアイデアを得ている。
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シリーズ第二作『邪法兵衛 忍びの風刃』は1982年8月に公開されたが、その時点で、既に最終作の撮影は開始されていた。
そして、その最終作で、雷次は一人の俳優にオファーを出した。プロダクション設立以来、ずっとオーディションで出演者を選んできた彼が、初めて役者を指名したのだ。
雷次がオファーを出した相手は、今成満治だった。
彼が最初にチャンバラを学び、新しい殺陣を生み出すために協力してもらった、あの今成である。
雷次は独立して以来、いつか今成と一緒に仕事がしたいと、ずっと考えていた。そして、出演してもらうのであれば、やはり時代劇であるべきだと考えていた。
『邪法兵衛』の企画を思い付いた時、雷次はすぐに今成を起用しようと考えた。最初は一作目でオファーを出すつもりだったが、どうせなら最強の敵として登場してほしかった。そこで、三作目まで作ることが出来ると信じ、それまでオファーを出さなかったのだ。
今成はテレビ時代劇で斬られ役を続ける一方、殺陣師としての活動も始めており、立ち回りを教える塾を開いて後進の指導にも当たっていた。既に63歳となっていたが、まだまだ元気そのものだった。
雷次はプロダクションを通じてオファーを出すのではなく、今成に直接会って仕事を依頼することにした。
「お久しぶりです、満治さん」
「よお、雷坊」
雷次にとって、満治は自分を「雷坊」と呼ぶ数少ない仲間になっていた。仕事の現場では疎遠になっていた二人だが、プライベートでは雷次の独立後も会っていた。そして、いつか必ず一緒に仕事をしようと約束していた。
「ようやく、満治さんに合う役を持ってきましたよ」
「えらい待たせてくれたやないか。アメリカへ行って、もう忘れてしもたかと思ってたけどな」
今成は笑いながら言った。
「忘れようと思っても、満治さんの顔が夢に浮かんで、忘れられなかったんですよ」
「こいつ、俺を悪夢みたいに言うなよ。それで、どんな役や?もうジジイになったから、若々しい役は無理やぞ」
「分かってますよ。たぶん、満治さんが今までやった中では、一番いい役だと思うんですけどね。『邪法兵衛』の最終作で、法兵衛が最後に戦う敵ですから」
「そんな大きな役をくれるんか。ええんかな、しかし」
今成は喜びと戸惑いを示した。
「満治さんに世話になったとか、仲がいいとか、そういう理由で、その役を用意したわけじゃないですよ。最強の剣客として適任だから、満治さんにやってもらいたいんです。俺は今でも、満治さんのチャンバラは天下一品だと思っていますからね」
「嬉しいことを言うてくれるやないか」
今成は大げさに泣く芝居をしておどけたが、本当に感激していた。
「せやけど、邪法兵衛って、相手に触らんでも投げ飛ばすことが出来るんやろ。それやったら、剣術の腕があろうが無かろうが、あんまり意味が無いんとちゃうんか?」
そんな疑問を投げ掛けられた雷次は、
「満治さんに演じてもらう剣客は、かなりの使い手です。そういう人間は、精神の力も強い。だから、法兵衛が意波を利用して投げようとしても、それに抵抗することが出来るんです。フンッと気合でパワーを跳ね返すような感じですかね」
と説明した。
「パワーを跳ね返すのか。俺、そんなに強そうに見えるかなあ。今からでも、鍛えて筋肉を付けた方がええかな」
今成が真顔でそんなことを言うので、雷次は
「気の力ですから、精神的な強さですよ。プロレスラーみたいな体になる必要はありません」
と苦笑した。
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『邪法兵衛 完結篇』
〈 あらすじ 〉
打野法兵衛(佐野雷次)は、若い男が数名の侍に襲われている現場に遭遇し、助けに入った。だが、男は既に虫の息であり、香森藩の藩士・半田蔵之介(義昇)への伝言を託して死んだ。
香森藩は、先代藩主の時代に法兵衛が仕えていた藩であった。そして彼は蔵之介とも顔見知りだった。香森藩へ戻ることは気が進まなかったが、伝言を頼まれたため、法兵衛は足を向けた。
香森藩では主席家老・戸田伊勢守(梶弦作)が幼い藩主の後見役として実権を掌握し、悪事の限りを尽くしていた。その政治姿勢に反発する者もいたが、剣術指南役の宇津木兵部(今成満治)など、城内の大半は戸田派で占められていた。
蔵之介は、戸田の悪政を打倒しようとする派閥において主導的役割を担っていた。死んだ男は蔵之介の使者であり、戸田のやり方に反対している江戸家老と連絡を取るため差し向けられたのだが、それを察知した戸田の家臣に始末されたのだ。
法兵衛が訪問すると、蔵之介は協力を要請してきた。蔵之介は江戸家老の煮え切らない態度に苛立っており、いっそ幕府に直訴しようかと考えていた。そんなことをすれば藩は取り潰しになる恐れがあるが、それでも構わないと蔵之介は思っていた。
法兵衛は蔵之介の過激な思想を諌め、
「自分は藩の人間でもないし、侍でもない」
と協力を断った。
戸田は法兵衛が香森藩に戻ったと知り、動揺を示した。城内には法兵衛に敬愛の情を持つ者が多くおり、幼い藩主も懐いていたからだ。戸田は部下に命じ、法兵衛の目的を探らせることにした。
法兵衛が蔵之介に会ったと知り、敵に回ったのではないかという疑いを持った戸田は、呼び寄せて話を聞くことにした。蔵之介の協力者ではないことを法兵衛が説明すると、戸田は味方に付けようと懐柔を図った。しかし法兵衛は、政に関わりたくないと言って丁重に断った。
法兵衛が藩に戻ったと知り、先代藩主の姫君・綾乃(谷路舞)は大いに喜んだ。かつて法兵衛と綾乃は、互いに惹かれ合う仲だった。しかし法兵衛は身分の違いを考え、その気持ちを抑えていた。綾乃の存在は、藩を離れた理由の一つでもあった。
今でも法兵衛を愛している綾乃は、城を抜け出して会いに来た。法兵衛も彼女を愛していたが、その気持ちを押し殺し、すぐに城へ帰るよう諭した。
蔵之介は法兵衛に協力してもらおうと、しつこく説得を試みた。法兵衛は断っていたが、その動きを知った戸田は焦った。法兵衛の参加で反対派が勢いづき、彼を慕って仲間に加わる者が増えることを危惧した。
戸田は法兵衛を消すために刺客を送り込むが、返り討ちにされた。法兵衛は政治のゴタゴタに巻き込まれることを避け、また綾乃への思いを断ち切るためにも、藩を離れようと決めた。だが、焦りを募らせた戸田は、綾乃を人質にして法兵衛を誘い出すという強硬手段に出た……。
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三部作の最終作ということで、雷次は前二作よりも派手でスケールアップしたアクションシーンを用意した。
一番の見せ場は終盤、静かに怒りを燃やした法兵衛が城に乗り込み、戸田の家臣たちと戦うシーンである。
法兵衛は百名を超える敵を相手に回し、たった一人で戦う。次から次に襲い掛かってくる侍を投げたり捻じ伏せたりしながら、どんどん奥へと足を進めていく。それを雷次は、長回しで撮影したり、カメラをグルリと回り込ませたり、俯瞰から捉えたりと、様々な映像テクニックを駆使しながらケレン味たっぷりに演出した。
一人で百人を倒すというのは、現実離れした話だ。そもそも、たった一人で城に乗り込む時点で有り得ないことだ。しかし雷次は、それがメチャクチャな展開だと分かった上で、意図的にやっている。荒唐無稽な話ではあるが、徹底してハードなテイストで演出することにより、そこに観客を巻き込むパワーが生まれている。
百人の敵を蹴散らした後、ついに宇津木兵部との対決が待ち受けている。すなわち、百人の侍よりも、たった一人の宇津木兵部の方が、強さとしては上だという扱いになっているのだ。雷次の今成に対する最大級のリスペクトが、そこに表れている。
そして、その扱いにふさわしいだけの動きを、今成は披露している。彼は一世一代のチャンバラを見せるという強い決意を持って、撮影に臨んだ。63歳になっても、今成の殺陣は全く衰えていなかった。刀さばきの鋭さやスピードは、雷次が大映で一緒に仕事をしていた頃と変わらず、一級品の品質を保っていた。さらに、年を取って円熟味が増したことで貫禄や風格が醸し出され、「最強の敵」としての説得力が感じられるようになっていた。
兵部は強い気の力によって、法兵衛の術に抵抗する。そのため、法兵衛は今までの戦いのように、触れずに投げ飛ばしたり、指一本で捻じ伏せたりという技を捨てる。当て身技(打撃)を使い、実際に掴んで投げようとする。そこだけは、オーソドックスな時代劇の立ち回りに近付けようとしている。
相手が今成であれば、超人的な技というケレン味に頼らなくても、迫力のある殺陣で観客を魅了することが出来るはずだと、雷次は自信を持っていたのだ(最後の最後だけは、意波を放出して兵部を弾き飛ばすという形にしてあるが)。
今成との殺陣に関しては、雷次は細かい動きを事前に決めなかった。大まかな段取りだけを決めて、後はその場のアドリブで格闘することにした。
そのため、流れるように美しい殺陣、踊るように華麗な立ち回りには、なっていない。しかし迫力は満点で、鋭さやスピード感もあり、何よりも異様なほどの緊張感に包まれた戦闘シーンとなっている。
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1983年1月、『邪法兵衛 完結篇』は公開され、大ヒットを記録した。子供たちの間では、法兵衛のように相手に触れずに投げたり弾き飛ばしたりする遊びがブームになった。また、この映画の影響で、合気道の入門者が増加した。
実は、雷次がアメリカから戻って日本での活動を再開すると決めた時、
「向こうでの仕事が上手くいかなくなったから戻ってきたのではないか」
「アメリカのやり方に染まってしまい、日本では失敗するのではないか」
などと陰口を叩く映画関係者、あるいは批判的な記事を書くマスコミもあった。
そこには、アメリカで成功を掴んだ雷次に対するやっかみもあっただろう。だが、日本の映画界におけるブランクが雷次にあったことは事実だ。世間の期待は大きいが、失敗すれば反動も大きくなる。雷次プロの製作主任である福井至恩は、もしも日本復帰作がコケたら、それ以降の仕事も難しいものになるのではないかという不安を感じていた。
だが、雷次は自信たっぷりに『邪法兵衛』三部作を送り出し、そして成功させてみせた。
『邪法兵衛 完結篇』がヒットする中、福井は雷次に、不安を抱えていたことを打ち明けた。すると雷次は余裕の笑みを浮かべ、
「俺は今まで多くの映画を手掛けてきたが、作る前から自信を持っていた作品は、そう多くない。だが、自信がある時には、必ず成功しているんだ」
と告げた。
「そうだったんですか。ちなみに、他に自信があった映画って、どれですか」
「うーん、そうだなあ。『魔銃変』はヒットする確信を持っていた。それと、『薔薇を抱えた男』も自信があった。あと、向こうで撮った『ママ』も、それから……」
「どこが多くないんですか。いっぱいあるじゃないですか」
「あれっ、そうだな。おかしいな」
雷次は、とぼけた顔で肩をすくめた。