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にぐちの硯

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にぐちが書いたもののなかで、これはエッセイだなーというものをまとめたものです。
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#人生

土日休める仕事に就こうと決心したあの頃

土日休める仕事に就こうと決心したあの頃

大学生時代、教育学部ではなかったが教員免許の取得を目指していた。通常の授業に加えて教職の授業が山ほどあった。1年に取得できる単位は48単位までと決められていたから、1年生から計画的なスケジュールを組み、着実に単位を取る必要があった。落単したら即終了。今思えばなかなか厳しい綱渡りをしていたようである。

このように書くと、まるで1年に48単位という制約の中で教員免許が取得できるように見えるが、実際は

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あれから1年

あれから1年

去年の今頃、ほぼ毎日noteを書いていた。そんなに書くことがあったんだなあなんて今は思う。書きたい!というよりは、書かなければやっていられない、のほうが正確だろうか。うまくいかない毎日。それが自分のせいだとわかっていても、何か叫ばないと生きていけなかった。なんて人間らしいんだろう。最も、もっと人間らしいのは、1年経ったな、と思ってこれを書いている現在の私に他ならない。6月30日。この日の午後、私は

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適正な距離を測って生きる

適正な距離を測って生きる

最近ようやく物事が動き始めてきて、どうにかこうにか息ができるようになった。通常、意識しなくても呼吸してるわけだけど、この直近1か月間、私は呼吸しようと思わなかったら窒息する、みたいな状態だった。そう思ったのは、空気が吸えるようになってからだけど。こんなに呼吸って楽にできるのか。それはもう少し大きく捉えても意味は変わらない。こんなに生きるのって楽だったのか。ただ、毎日を生きるだけであんなにも苦しい。

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優柔不断なのか、それとも

優柔不断なのか、それとも

結論から言うと、続けることになった。進路変更は叶わなかったが、初めて戦ったし、内に秘めたる(というか秘めておいたほうがいい)ものは全部ぶつけた。相手には、しょうがない、ともいわれなかった。正直それが意外である。私の頭の中には、①上手に話をつけて進路変更、②ちくちく言われながらも進路変更、③むしろ推奨、の3択しかなかったのだ。引き止められたらどうするかなんて考えてもいなかった。

ちょっと前の私なら

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推しが支えにならなくなったら

先週の月曜日からいきなり人生を再考し始めて(ずっとうだうだ悩んではいたのだが)、土曜日に結論がでた。日曜日はそれを現実的に捉えなおして意思を固めるのに必要だった。まるっと1週間。1週間で人生大転換するような結論を出していいのか?と思う人もいるだろうし、私もそう思った。でも、そういうときもあるらしいよ、と伝えたい。結論を出すのも大変だった。とりあえずこのまま、と言ったほうが今は楽なのかもしれないな、

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いきなり岐路に立つときもある

いきなり岐路に立つときもある

私には行き詰まった時、一息入れたい時、気分転換したい時に必ず行く場所がある。場所というか部屋なのだが、そこからはとてもきれいに山が見える。地元では信仰の対象になるくらいの独立峰で、ここに住んで5年目ともなれば、ちょっとした心のよりどころになっていた。

このご時世でリモートが進み、使っていない部屋がたくさんある。その部屋もいつもなら人がたくさんいるのだが、今はすっからかんだ。私以外誰も使わないよう

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「今日はいい日だった?」から価値観を捉える

「今日はいい日だった?」から価値観を捉える

特別何も起きなかった日というのは、とても凡庸でつまらない日のようだが、実はそうでもないということを最近知った。もちろん、新しいことを学んだ日だとか、感情が揺さぶられることが起きた日というのは記憶に残る。たとえそれが痛いとかつらいとか、あまりいい方向の記憶ではなかったとしてもだ。では、淡々と目の前の物事をこなしていく日はどうだろうか。天から降ってきたような閃きがあったわけでもなく、時間対効果は相応で

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