推しが支えにならなくなったら

先週の月曜日からいきなり人生を再考し始めて(ずっとうだうだ悩んではいたのだが)、土曜日に結論がでた。日曜日はそれを現実的に捉えなおして意思を固めるのに必要だった。まるっと1週間。1週間で人生大転換するような結論を出していいのか?と思う人もいるだろうし、私もそう思った。でも、そういうときもあるらしいよ、と伝えたい。結論を出すのも大変だった。とりあえずこのまま、と言ったほうが今は楽なのかもしれないな、と思う日もあった。逃げたいだけなのかな?と自分を疑う日もあった。でも考えた。悩まなかった。考えた。考えるには気力も体力もいるし、それらを充実させるのも大変だ、ということが分かった。何を言われるかわからないが、決めた。今はまだ言ってないけど、今週中には言う。

そんな1週間だったわけだが、先週も含めてこの6月、個人的には非常に大変な期間だった。私は割と軽率に死にてえ、と思うタイプだが、痛いのは嫌なのでこれまで実行したことはない。未遂もない。でも、先週は窓を見ていたら今なら飛べるな、という瞬間に遭遇したので、それくらいには追い詰められていたらしい。さすがに焦った。びっくりした。窓のサンにかけた片足を呆然としながら下した。これか、飛んじゃう理由って。いきなり来るんだな。これがきっかけでカウンセリングを予約し、話を聞いてもらうことができたから最終的にはよかったね、になるわけだが、笑い事じゃないよな、と今は思う。

今回わかったことがある。私は推しが生きる支えにならなくなったら結構きてるらしい。見たい作品がない、推しをみても心が動かない。(感動しなくなったら危ないみたいな話はよくあるが、個人的に感動は基準が難しくてよくわからなかった。)気づいたきっかけはブロマイドである。先週の水曜日に推しのブロマイドが届いた。ビジュアル公開されたときはもうそれはそれは楽しみにしていたのだ。早く手元に欲しい…とずっと思っていたのに、いざ来てみたら、ああ、みたいな。あれ?もっとなんか普通ならあるよね?と疑問に思った。そしてこの2週間くらい全く作品をみる元気がなかった。作品をみて元気になってきた人間が、ぱたっと見なくなっていた。これに上述した未遂?事件が加わった。ああ、これはきてるんだ。気づくのが遅いのかもしれないが、そこでやっと認識した。推しが支えにならなくなったとき、それは飽きたとかそういう話じゃなくて、自分が相当やばいときであるらしい。気づいただけよかったか?皆さんの基準はどこだろうか。

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