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不安との闘い

 不安というのは目に見えないものですし、人によっても要因は様々で、さらに一つだけじゃなく複数が複雑に絡み合っていたりと、なかなかに難儀です。
 さらにややこしいのは、不安を感じること自体は悪いことではなく本能的なものであって、人間に行動する根拠を与えてくれるものでもあります。そう考えると不安を感じるなというのは土台無理な話であって、とはいえ過剰に不安を抱いていると日常生活に支障をきたすので、どうバランスを取ったものかと未だに答えは出ていません。

 不安から逃れるようにインターネットで情報を集めだすわけですが、簡単に手に入る範囲ではあくまで表面的というか理想論というか、とても定義立てられた内容しか目に入りません。それらは自分がカウンセリングを受けてカスタマイズされたものでなくただの一般論なので当たり前なのですが、不安に駆られている身からすると「じゃあどうすりゃいいんだよ」という身勝手な感情が沸き上がってきて、あるかも分からない”正解”を求めて、でも見つからなくて何も解決しない、ということを何度も繰り返してしまいます。

 そういった場合、素直にカウンセリングなり心療内科なり、専門家と相談するのが最適解なんでしょう。それは自分でも分かっています。頭ではそう理解しています。でも行けないんです。どこかで”まだ自分は行くほどではない”と思っているからです。
 くだらないストッパーなんですが、これが結構強力で、”もう少し、決定的な何かがあったらその時行こう”とか、”こうして冷静に考えられている間はまだ大丈夫”とか、”周囲の体験談とかを聞いていると自分なんて全然マシだ”とか。何かにつけ理由を探して、現状維持を試みようとします。そしてあわよくば自分の努力で解決できればと願望にも似た思いで日々を過ごしてしまいます。

 それが良いことなのか悪いことなのか、それすらも分かりません。結局最後は自分自身が頑張るしかないとも思っているし、とはいえ一線を越えてしまえば回復するのに時間が掛かるのも知っています。まるで何の得にもならないチキンレースをやっている気分です。何かのきっかけでスッと良くなるような、根拠のないウルトラCを待ち続けているんです。日々を騙し騙しやり過ごしながら。それが今の自分です。

 我ながら、もっと素直に生きられんのかと思います。
 ただ、そういう人って、案外いるんじゃないかな、とも思っています。

 私の場合、不安と向き合うきっかけになったのは、朝の通勤時でした。
 何度か転職しての今の職場。今までと比べると肌に合っているなと感じています。全く不満が無いとは言いませんが、仕事内容も自分の強みを活かせるし、人間関係もそれなりに良好です。まぁそれが結果的に、”もっと大変な環境で頑張っている人もいるんだから、甘えてはいけない”という自責にもつながるわけですが……。
 ともあれ、一般的に言われるようなブラック的な不安を覚えるようなことはない、はずでした。

 なのに、しんどいんです。朝起きるとき、準備するとき、向かっているとき。いざ会社に着いて、タイムカードを押すとき。動悸がして、お腹が痛くなって。
 緊張? 不安? 新人時代ならまだしも、そろそろ中堅という年数が経っているのに?
 気付くと、怖くなりました。職場でリラックスしたことがない。休憩時間でさえ常に気を張っていて、周囲の目を気にして、神経を尖らせて。
 仕事が忙しくなくても、家に帰ればもうへとへと。何もする気が起きない。どう考えても活動量と疲労感が見合ってない。聞きかじった知識で場当たり的に深呼吸しても、気を逸らそうとしても、一向に症状は改善しない。むしろどんどん酷くなっていってる。これはおかしい。そう思いました。

 そうして情報を集めるようになって、やがてHSPという言葉に出会いました。インターネットに転がっているどの診断ツールを試しても、面白いほど該当していました。あなたはどんな性格ですかと聞かれたら、これで説明がつくくらいぴったり当てはまってました。
 まさにこれだ、と思いました。そしてついに見つけた、未知が既知になった、と感じました。よかったよかった。これで大丈夫だ。光明が見えた瞬間です。

 でも、それだけでした。間違いなく前進ではあったんですが、イコール解決ではなかったんです。少し考えれば当然ですよね。あくまで性質が分かっただけで、大事なのはその性質を認めたうえで、どう考え行動していくかなんですから。

 HSPなのは分かったけど、”じゃあどうすりゃいいんだよ”は終わりませんでした。そういう性質だから諦めましょうということなら、いよいよ救いがありません。いくつか書籍も読みましたが、”へ~”と思うことはあれどクリティカルに刺さるものは無く、またしても沼に嵌りました。

 この頃は生きることが恐怖でした。本当にみんな、こんなしんどい思いを隠しながら取り繕うように笑って生きているんだろうか、と。そして取り繕えなくなった人から順に心が壊れてリタイアしていくのかと。
 生きるって、こんなにしんどいことなのかと思いました。

 やがて、不安障害を疑いました。とくに社交不安障害が近いように感じました。ただ、HSPの性質とも似通う部分もあって、何が正しいのかよく分からなくなりました。また靄がかかったような気分でした。

 それでも、生きている以上生きなきゃいけない。生きなきゃいけない以上、少しでもしんどくない生き方をしたい。何事もなければ、人生はまだ半分以上もある。その長い時間を、ずっとこんな思いをしながら生きるのは嫌だ。

 そうして筆を執った今ここが、現在地です。
 不安を吹っ切ってやるために、私はここに言葉を書きに来ました。

 これから先は、私が不安と闘う記録でもあります。

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