考える余裕があるから不安になって、余裕がないほど忙しければ不安を感じる暇もない。 よく”動いている方が気が紛れる”と言いますが、それはある程度正しいことなんだと実感します。 視線や雑音や気配などストレスだらけの職場であっても、仕事に追われたり資料作りに集中したりしていると、ほとんど気にならないのはよくある感覚です。まさに気にしている余裕がない状態ですが、これは自分の思考のリソースの限界がどれくらいかを測る目安にもなるのではないでしょうか。 例えば家にいるときや仕事
不安というのは目に見えないものですし、人によっても要因は様々で、さらに一つだけじゃなく複数が複雑に絡み合っていたりと、なかなかに難儀です。 さらにややこしいのは、不安を感じること自体は悪いことではなく本能的なものであって、人間に行動する根拠を与えてくれるものでもあります。そう考えると不安を感じるなというのは土台無理な話であって、とはいえ過剰に不安を抱いていると日常生活に支障をきたすので、どうバランスを取ったものかと未だに答えは出ていません。 不安から逃れるようにインタ
書くというのはある種単純な作業ではありますが、文章を綴るとなると様々なスタイルがあるなと考えることがあります。 日記やエッセイ、小説にシナリオ、短歌や俳句に歌や手紙まで。目的に応じて、形が変わっていきます。 それは例えば絵や音楽も同じで、作業としては同じ行為なのに、出来上がるものはまるで違う。それはどれも”出力”するものであって、それをする人もまたそれぞれ千差万別であって。多様な形になるもの納得できることではあります。 出力は表現とも言えて、人は自分の中の何かを表
初めましての方は初めまして。以前より小説を読んでくださっている方は改めてこんにちは。タソカレです。 元々創作物の展示目的で自サイトを運営しており、たまに創作とは関係のない自らの思考や体験などを発信しておりました。ただ、サイト自体も作品の一部と考えたときに、純粋な創作物の中に私個人を記した記事が紛れ込むのは不純物のように感じられ、こうして別のプラットフォームを利用することにした次第です。 Xはじめいろんなプラットフォームで書き散らかしているので、それを一本化したかったと