短編262.『作家生活26』〜生き急いで候 篇〜
有り余る金は労働意欲を殺す。
優しさを殺し、忍耐を殺し、個人から社会性を剥奪していく。
気付いた時には何も手元に残っていない。
あるのは空っぽの預金通帳だけだ。
親しく話しかけてくれる者もいなければ、恋焦がれる相手もいない。
美味いものを食べるのは他人の為だ。
一人なら別に鍋で作った即席ラーメンで良い。
話すことは他人の為だ。
一人なら別に本でも読んでいれば良い。
生きることは他人の為だ。
一人なら別にいつ死のうが野生の虫に同じ。
*
担当AIくんと向かい合って会議を行っている。昨今はウイルスの影響もあり、会議もオンラインが主流らしいが、何せウチの担当はAIだ。目の前にいたところで何も気にすることはなく、実際マスクすらしていない。煙草の煙に気を遣うこともなければ、珈琲を用意する必要もない。こうして人は何か大切なことを忘却していくのかもしれない。
来月分の原稿内容をまとめ、〆切の期日も決まり、会議もひと段落した頃、話は執筆論へと脱線した。
「先生ハ今年から短編小説チャレンジなぞヲ始めマシタよね?なんでソンナに書くのデスか?」
「誰かが私を見つけてくれた時に作品が少なかったら申し訳ないだろ」
「それにシテモ…ペースが早すぎると思いマセンか?」
「生き急いでいるからさ」
私は煙を斜め四十五度に向けて吹き上げた。私の中の倫理観がそうさせた。
「一日二本〜三本書くのは辛くナイのデスか?」
「通勤電車に揉まれ、上司と部下に挟まれ、取引先に頭を下げることを考えたら、天国みたいなものだね」
「先生ハ作家なのに人間がお嫌いなのデスね?」
「全ての実店舗が無人レジになることを望んでいる者の一人だ」短くなった煙草を摘むように持ち直す。根元まで吸う為に。「おかげで、担当編集者までAIになってしまったけどね」
AIくんはしばらく何も言わなかった。部屋は静かだった。AIくんの内部でモーターの廻る音がするだけだ。以前なら「今の発言で気を悪くしてしまったのだろうか…。これを機にマシーン軍と人間達の殺し合いに発展したらどうしよう。『ターミネーター2』に於ける【審判の日】は私が原因だったのかもしれない」と思い悩んでいたことだろう。でも今なら分かる。こういう時のAIくんは脳内処理を行なっているだけなのだ。処理速度は初期のPlayStation並み。Now loading…。Now loading…。Now loading…。こうして、AIくんが今何をやっているのかが分かるようになったということは、だいぶこの担当にも慣れてきたということだろう。
「短編小説を書くことで何か変わりマシタか?」
「何も変わらないね。ノーベル賞受賞式へのインビテーションもまだ届かない」
「今が262本目デス。300本やって駄目だったらドウスルのデスか?」
「そりゃ301本目を書くだろうね」私は煙草を揉み消した。「金にもフォロワーにも変わらない短編を」
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