【性別適合手術と妻へのプロポーズ2】「性同一性障害」診断までの1年間
27歳の時、自分以外のトランスジェンダーの当事者に初めて出会いました。
それまで、私は心と身体の性が一致しないことに悩み、自分は何者なのかとずっと悩んできました。当時、CS放送で放映された「Lの世界」という、レズビアンやバイセクシャルの女性の生き様を描いた海外ドラマを見て、「私はレズビアンなのかも」「いや、やはりトランスジェンダーじゃないだろうか」と考えることもありました。
女性の身体を持ち、男性の心を持って生まれたトランスジェンダーの当事者に初めて出会った私は、たくさん質問しました。「トランスジェンダーとはどういう人なのか」「なぜ私はこれまで苦しんできたのか」「どうすれば性別は変えられるのか」「どうすれば心の性に身体の性を近づけられるのか」「治療はどこでできるのか」。それまで1人で抱えてきた疑問を初めて人にぶつけることができました。
私は、一刻も早く医師の診断を受けたい、そして治療を受けて身体の性を心の性に近づけたいと考えるようになりました。親に反対されたらどうしようなどとはもはや考えませんでした。やっと自分が何者かわかり、どうすればいいかが見えてきたのです。親にはわかってもらうしかないし、わかってもらえなくてもやるしかない! 性別適合手術のための貯金もできていませんでしたが、とにかくGID外来(GIDはGender Identity Disorderの略。性同一性障害のこと)を予約しました。
診療申し込みからGID外来の受診まで3か月くらいかかりました。その間、私は、GID外来の受診の前に精神科を受診しました。これは統合失調症などの精神障害によって本来の性自認を否認しているわけではないことを確認(除外診断)するためです。
性同一性障害に関する医療は日本精神神経学会が定めた「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」に沿って行われます。精神科の受診もこのガイドラインに定められたものです。性別適合手術という不可逆的な治療を行う前に、より確実な診断が求められるからです。ガイドラインを無視して治療を進めると、戸籍を変えることもできなくなってしまいます。
精神科の受診を経て、私はGID外来の受診へと進みました。診察では、幼少期からの自分史を振り返り、どんなときに生きづらさを感じたかなどを医師に話していきました。カウンセリングのような診察が何か月か続きました。
そして、私は、GID外来の受診と並行して、ホルモン療法を開始しました。ホルモン療法は性別適合手術の後も長期間必要になります。不可逆的な性別適合手術を行う前に、ホルモン療法を先に開始して、副作用の有無などを確認しておきたいと考えましたし、何より、性別適合手術を待たずに、ホルモン療法を開始して、自分が望む性に身体を近づけたかったのです。
ただ残念ながら、日本では、「性同一性障害」という疾患に対して投与が認められたホルモン製剤が存在しないという理由から、ホルモン療法は自費で受けなければなりません。そして、混合診療禁止の規定によって、性別適合手術の前に自費でホルモン療法を開始すると、保険適用による手術が受けられず、全額を自己負担しなければいけなくなります。私は、早く自分の心の性に身体を近づけたいと考え、ホルモン療法を開始しましたが、このような状況は、性同一性障害の人たちが自分らしく生きる上での障壁になっているように感じます。
GID外来で医師と話す時間は、私にとって楽しい時間でした。それまで誰にも相談できなかったことをきちんと聞いてもらえる、しかも専門家に聞いてもらえる時間だったからです。
担当の男性医師とは、いろいろなことを聞きました。タイなど海外で手術する場合と日本で手術する場合それぞれのメリット、デメリットも教えてもらいました。恋愛相談もしました。当時私には彼女がいましたが、「2人で歩いていて、周りから女性同士のカップルと思われるのがつらい」と打ち明けたこともあります。女性同士のカップルを否定しているわけではなく、自分は心が男性であるにもかかわらず女性として見られることがつらかったのです。男性医師は「ホルモン治療が進めば見た目が変わっていくので焦らなくていい」と励ましてくれました。また、髭に憧れていた私は、「どうしたら先生のような濃い髭が生えますか」と聞いたこともありました。医師は「毎日剃っていたら濃くなった」と教えてくれたのでその通りにしましたが、私には濃い髭は今も生えてきません。
正式に「性同一性障害」という診断が出されたのは、GID外来に通って1年くらい経ってからのことでした。
次回は、ホルモン治療についてもう少し詳しくお話しします。
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