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第12回「今までのまとめ+演出編① 戯曲の社会の実在化」~創作ノート~TARRYTOWNが上演されるまで

こんにちは!TARRYTOWN翻訳・訳詞・演出の中原和樹です。

2023年11月に上演されたミュージカル「TARRYTOWN」、その裏側を見せる創作ノートですが、前回までで上演準備に関する内容が一区切りつきましたので、ちょっとだけまとめをしようと思います。


■第一回~第三回 「TARRYTOWNを選ぶまで」
TARRYTOWNをどう見つけてきたか、そして上演すると決めるに至るまでを書いています。海外のミュージカル作品サイトを漁ったり、他の候補作品とサントラの聞き比べをして比較したりしています。



■第四回~第六回、第11回 「上演権を獲得する」
TARRYTOWNを上演したい!と決めた後、実際に海外のエージェントと交渉し、上演権を獲得するまでを載せています。
第11回の記事は、さらに突っ込んだ内容を知りたい方向けに実際のやりとりを細かく書いてみました。



■第七回~第十回 「戯曲の翻訳」「訳詞」
無事に上演権を獲得し、戯曲と歌詞が送られてきて、ついに具体的な創作作業に移ります。
どういう思考の流れで戯曲の翻訳を行ったか、訳詞をする際に大事にしていることなどを詳細に書きました。
第十回は翻訳と訳詞のまとめとして、以前僕が翻訳・訳詞をしたミュージカル「パジャマゲーム」を比較対象としながら、「TARRYTOWN」を翻訳・訳詞をして感じた作品の特徴を挙げました。



ふう。こうしてみると、結構な量な気がします。笑


そしてここからは僕の本領である「演出」について書いていきたいと思います!

TARRYTOWNでは戯曲の翻訳や訳詞も行いましたが、翻訳をする脳みそと演出をする脳みそは別物です。
完全に分離することは難しいのですが、見ている視点、考えている観点、重きを置く部分が違うような感覚です。
ですので、作品演出について進めていこうと思った際は、改めて演出脳に切り替え、「演出」をする観点で作品の読み解きをはじめます。


ところで、「演出の仕事」と聞くと、どんなことをイメージしますか?
俳優の動きをつけたり?
出ハケ(どこから出てどこに去っていくか)を決めたり?
セリフの言い方を指示したり?

これらももちろん演出の仕事の一部ではありますが、演出の仕事の重要な部分はこれらには無いと、僕自身は思っています。


僕は演出の仕事の核は「戯曲をどこまで自分の中で膨らませられるか、そしてそこからどこまで圧縮して舞台上に表現出来るか」だと思っています。
これだとなんのこっちゃ・・・かと思いますが、ぜひお付き合いください。


そもそも戯曲というものは、文字で構成されています。
戯曲という、文字で描かれた一つの社会(世界)を舞台上に立体化するのが演劇の上演だと僕は思っているのですが、

A 戯曲(文字情報)
    ↓
B 舞台上での立体化(作品上演)

このA→Bの間に、演出家の方針が入ってくるのです。
「演出プラン」と呼ばれるものです。

A 戯曲(文字情報)
     ↓
ーーーー演出プラン(演出家の方針)ーーーー
     ↓
B 舞台上での立体化(作品上演)

この演出プランをどう立てるか、A→Bをどう行うかという部分に、それぞれの演出家の個性が存在します。

ここで演出家として僕が自分のスタイルだと思っていることは、

その物語(作品)が、実際の舞台上に上がる(表現される)ことを考える・想定する前に、まず実在する一つの「社会」として読む」

ということです。
これはどんな作品をどんな条件でやるに関わらず、僕が一番大事にしている観点の一つです。

まず実在する一つの「社会」として読む、というのがどういうことなのか、説明してみます。

演出を考えるために戯曲(台本)を読むと、どこが演出的に核となるシーンか、美術はどうするか、照明はどんな感じになるのか、出演者の舞台上の配置・出ハケはどうするかなど、どうしても「舞台上でどう表現するか」という観点が中心となっていきがちです。

ただ、考えてみると、その戯曲の中の人物たちは「どう表現されるか」「舞台上でどう配置されるか」を意識して(知って)は生きていませんし、その戯曲の場所は、実際には舞台上という限られた空間に区切られずに存在するはずです。

例えば今回のTARRYTOWNの戯曲内には、

ハドソン川、駅、家々、道、森、学校、墓地、橋、スーパー、カフェ、レストラン、自転車屋、パン屋、雑貨屋、教会、 等々・・・

ぱっと挙げましたが、もっとあるかも

という「場所の情報」が書いてあります。

こうして戯曲のなかに登場する場所の情報をリストにしてみるだけでも、少しTARRYTOWNという町が自分の中で立体化するような、イメージが明確に具体的になってくるような気がしませんか?

この、

イメージが具体的になってくる=自分の中でその戯曲内の社会(世界)が実在する

という状態をしっかりと創ることが、良い表現に繋がると思っています。

それはなぜかというと……

B 舞台上での立体化(作品上演)のためには、表現をするための精査・試行錯誤が必要となってくるからです。

どんなに予算があるプロダクションでも、戯曲上の全ての要素を舞台上に表わすことは不可能ですし、何らかの形で「削ぎ落とす」必要があります。ただし、単に減らす・選ぶといった削ぎ落しではなく、必要な要素を「圧縮」することで、強度ある表現となると僕は思うのですが、そのために精査・試行錯誤する必要性が出てきます。

A 戯曲(文字情報) 
   ↓
① 戯曲の社会(世界)の実在化
   ↓
② 実在する社会のどの部分を切り取り、どの部分を変容し、強調し、色付けし、表現するかの精査・試行錯誤(圧縮)
   ↓
B 舞台上での立体化(作品上演)=表現

この①の部分が多彩で豊富で具体的なほど、②での精査・試行錯誤するための良い素材が増えるということになります。

そうすれば、より良いアイディアが生まれやすくなり、より良い表現が、そしてより良い作品が生まれる礎になると思うのです。
その為に、文字で描かれた戯曲の社会(世界)を具体的に、リアルに、広く多彩に捉えられるか・イメージ出来るか、それが演出家としての一つの重要な要素です。

そして良い表現・強度ある表現に必要不可欠なアイディアですが、何もせずに降って湧くことは無いですし、アイディアが勝手に無限に浮かぶ人もいないように思います。

アイディアは、自分の頭の中・身体の中・体験の中・人生の中にある(出会った)様々な要素が、何かのきっかけで結びついたり、変容したりすることで生まれる気がします。

そのためには、① 戯曲の社会(世界)の実在化という作業をどれだけしっかりと丁寧に行うか、戯曲の社会をどれだけ自身の中に取り込むか、それが肝要です。

取り込んだ戯曲の社会から、アイディア・閃きは生まれます。

戯曲の社会を自分に取り込むことで、戯曲の文字情報にそのまま捉われるのではなく、戯曲の奥行まで表現することが出来る、そう思います。


演出編①、いかがだったでしょうか?
次回からも演出編は続いていきます。書きたいことがたくさんありすぎてどこまで続くのか・・・。気軽に、気長にお楽しみいただけたらと思います。

次は、上記した②の作業での指標となる「演出プラン」のお話をしようかと思います。実際にTARRYTOWNではどう考えていったのか、少しずつ触れていきます。

お読みいただきありがとうございました。
次回も楽しみにしていただけたら嬉しいです。

中原和樹


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