考察『虐殺器官』・仕事を全うするなら良心を捨てろ
グロテスクなシーンから始まったはずなのに
万華鏡の螺旋階段を降りるように
ファンタジックな地獄に誘う文章
冒頭から一気に物語に引き込まれる小説
本書は近未来SF小説
主人公はアメリカ軍に所属し
主に暗殺を行う
この物語の中で起きる戦争の様を
きちんと世界観を理解するには
近代史が当たり前に頭に入っている人でないと厳しいし、加えて文学や映画の文脈を分かってないと話についていけない
(ちなみに吾輩はついていけなかったので
分からないところは分からないまま読み進めました)
恐らく深い考察とトリック読み解きができる小説なのだろうけれど
そこはもう他の方にお任せします…
魂はどこに存在するのか
序盤はほとんど共感しながらウキウキ読み
中盤から起こる会話劇が
衝撃的すぎて脳震盪を起こしそうだった
魂はどこに存在するのか
『攻殻機動隊』ならゴーストはどこに宿るのかとよく自問してる話が多かった
それは攻殻機動隊の世界線は
肉体を機械に置き換えてることが多く
残るとしたら脳なのだけれど
その記憶や思考もまた機械にダビングできるため、魂(自我)の存在があやふやになり
ゴーストはどこにあるのか
が幾度となく浮かび上がる
そもそも「魂」なるものは科学的には証明されていない
でも人類の大半は魂の存在を信じてる
それが無神論者であっても
「魂」の意味は、その文脈によって変わる
「アイデンティティ」の事かも知れないし
「自我」のことかもしれない
「心」とも呼ぶだろう
それはどこに宿るのか
現状、判明してる医学情報に基づいて推測するなら魂は脳に存在るのではないだろうか
ゴースト呼ばれる自我もアイデンティティも
脳が処理してるのならば魂は脳にあるのではないか
でも、脳は
人間を構成する肉体の一部の器官にすぎない
思考
言葉は現実を規定しない
我々が目から見て認識してる視覚情報を
写真でなく伝えるとしたらそれは言葉になる
視覚情報だけでなく、今感じてる痛みや感情も
口から言葉にすることがなくとも
思考するときに乗せるのは「言葉」だ
でも考えてみてほしい
我々は思考の全てを「言語」で行っているのだろうか
思考は浮かび上がるイメージワークの中でも絶えず働いてるし
身体感覚に注目して考えてみる
反応も思考の内だとすると
体の各部位(モジュール)は
様々な反応を示している
医学的に考えると自律神経の反応だけれど
それだけで証明できるのだろうか
昨今、脳科学が発達し様々な解明はなされているが、脳の神秘の全ては解明されたわけではないし、人間の肉体の各部位はビックリするほど解明されてないことだらけだ
我々の肉体で最も認識しやすい思考している主体が脳なだけであって
シナプスで繋がれている体の各モジュールも
思考して反応してるんじゃないのか
体に刻まれている思考の記憶
小説の中ではSFなので
痛覚をオフにしたり
軍事行動によるPTSDを防げる世界線となっている
小説の中の医学によって
軍人たちは、感じる心をチューニングされてる
それと同じように
我々の良心を麻痺させるものがある
良心を麻痺させるもの、仕事
主人公は序盤で
軍人として実行した暗殺や戦闘行為を
上が決めたこと、自分は仕事をしただけ
と認識している
それがだんだんと
大切な人の死によって
仕事のせいだ、とは言い切れない
心理状態になっていく
我々の日常生活を思い返してみても
仕事上で、さすがにかなりの脱法行為は反対するとは思うが
少しモラルにひっかかるなということを
受け流してはいないか
良心を捨てていってる
自分の意思ではない、仕事だから
という大義名分を手に入れると
良心をチューニングすることができる
一個人としてなら良心に従って
反対すべきだと決断できることも
一会社員としてならば
良心を麻痺させることができる
兵士と自我
倫理の淵に立ったとしても
自分の思考停止させ
考えずに蓋をしてソルジャーとして
職務を全うするのだ
「言われたからやっただけ
これが失敗しても誰か死ぬわけではない」
そうやって発言する社内の誰かに対して
無責任なヤツだと思うが
しかし同時に、個人の思想は
会社の意思に従うことこそ正義だと思う
それすらできないなら価値はない
何を「問題・課題」と思うかは上層部の意思なのだしと受け流すたびに
明らかに会社か腐っていく様を横目で見ている自分そのものも「無責任なヤツ」の仲間入りなる
しかし内側から変えられないのなら
もうそれは自らが環境を変えるしかない
現実を生きる我々は
誰かを虐殺したりしないし
今のところ日本で内紛が起きそうな空気もない
だけど言葉によって
伝播するイデオロギーで
人々は激しい分断の中に生きてる
まるで戦争みたい
虐殺器官は、もちろんファンタジーだ
虐殺を起こすロジックなんて
そんなもんはこの世にはない
ないはず
ないはずだけど
いつだってどこにいたって
どんな時代に生きていたって
どこからか湧き出るミームに思考は寄生され
生きる瞬間、瞬間に倫理の淵に立たされる
我々は、あるいは一個人としての自分の
その決断は自由に選び取った意思なのか
それとも思考に寄生されたミームによって
自ら選んだと思い込んでるが
選び取らされているのだろうか
目を閉じ、耳を塞ぐことことがあっても
その言葉はどこからか伝播してくる
隙間からすり抜けて、思考に寄生する
そして植え付けられた種は発芽する
自らの思考を整理し
真理に辿り着いたと思ってる事柄も
結局はこのストリームの情報の中から
断片的に付着したそれが
自らの思考を作り上げてる
我々は兵士だ
脳死で倫理を捨て仕事を全うしろ