ソーシャルディスタンスの心地良さに気づいてしまった
新型コロナが蔓延するまで、私は人混みや行列に対して抵抗を感じたことがまったく無かった。
撮影のためのベストポジションを確保しようと思うと朝日が昇る前から場所取りをすることなんてザラだったし、行列だってスマホと充電器さえあれば何時間に及ぼうとも正直苦ではなかった。
新型コロナによって人数制限を課されていた映画館が、飲食はしないという条件のもと100%の集客を行う許可が出た。真っ先に浮かんだのはこの秋公開予定の劇場版『鬼滅の刃』は連日ファンで満席になるだろう、と。スポーツ界にも人数制限緩和は大きな影響を与えている。これまで上限5,000人前後だったプロ野球観戦も、その倍以上の観客が来場することとなる。
新型コロナ対策で観客動員数を6分の1まで減らしたガラガラの球場に何度か足を運んだが、スカスカの球場を体験して始めて«ソーシャルディスタンスの心地良さ»に気がついてしまった。
振り向く度にとなりの他人と肩がぶつかることもないし、お手洗いに立つたびに横一列の他人に頭をさげて歩きにくい通路をそそくさと立ち去ることも無い。さらに夏場は近くに汗が臭う他人がいると、試合中気分が悪くなるあまり体調を崩したこともあった。(体臭や香水のクレームは係員に言えば席を替えてもらえるが、さらに良い席に移動になることはまずない)
スーパーでの買い物もそうだ。レジに並ぶときに、2mとはいかなくとも1人分ほど間を開けて並ぶようになった。一度このソーシャルディスタンスを体験してしまうと、今までどうしてあれほどまでに密着して並んでいたのかと思ってしまう。
とにもかくにも、なにかにつけて他人との距離を適度に保つことの快適さを覚えてしまった。人数制限がなされたことで、経営が苦しい業種も多々あることは重々承知の上だが、オンラインサービスや事前予約などをうまく活かして少しでも人の密集を避けられないものかと考えるようになってしまった。
むしろ病院や産院の、「本人のみ」あるいは「本人と付き添い1名まで」という人数規制はウィズコロナが続く限りずっとあり続けても良い気がした。小児科の待合室でさらに重い病気をもらう心配が緩和されたし、産院に至っては待合室の席を占領していた夫、祖父母、多すぎる子どもたちが居なくなって「産む当事者はこれしかいなかったのか」と目からウロコの光景だった。(とはいえ、子どもに関してはワンオペを避けられない家庭などの事情もあって一概には言えないだろう)
挙げれば挙げるほど、「自分が気づいていなかっただけで、実は人混みが苦手だったのでは?」という気もするが、アイドルのライブで皆が一斉にペンライトを振りかざす光景は嫌いではない。ただ、もう少し通路に余裕があるとより良いのだが、施設の人数許容量と催事の収支は密に関わっているから仕方ないこともあるだろう。
インフルエンザ予防接種の手続きを進めながら、人の密集をもう少し減らせたらインフルの罹患リスクも減るかな、と考えてみたりした今日だった。
引き続き、予防を心がけていこう。おやすみなさい。
2020/09/20 こさい たろ
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