「映え」と「美味しい」は似ている
ある日の昼ごはん。
料理を並べ、夫に「スパゲティがいい?ロコモコ丼がいい?それともそれぞれ半分こする?」と聞くと嬉しそうな顔をした。
ここだけの話、いや、そんな前置きをするほど大した話ではないのだが、どちらも大して手をかけていない“手抜きごはん”。
冷蔵庫にあったハンバーグをほぐしてスパゲティにかけたボロネーゼ風のパスタと、白米に目玉焼きとハンバーグを乗せたロコモコ丼。
同じメニュー2つにしなかったのは、パスタが残り1束しかなかったから&卵が残り1つしかなかったから、と冷蔵庫の在庫管理までずぼらな始末。
それでも、“映えるように盛り付ければ美味しそうに見える!”と野菜室を漁り、なるべくカラフルな色味に仕上げて、とりあえず夫は喜んでくれた。いや、料理とは意外と見た目で“美味しい”が作れるものかもしれない。
今日の晩ごはんは鍋だった。
懲りずに冷蔵庫内のものをひたすら並べて、娘の機嫌をとりながらぐつぐつすること30分。以上。
夫はまた嬉しそうに食べてくれた。
「赤」「黄」「青(緑)」と3色が揃うと、ただの鍋でも美味しそうに見える。写真映えと料理は似て非なる…とこれ以上は料理家から叱られそうなので割愛。
投稿ボタンを押す前に読み返してみると、「写真映えを意識したおかげで手抜きメシが割とちゃんとしたものに見えた気がする」という自己満足、いや“家事なんてこんな感じで大丈夫”という自己暗示で完結しているのだから、我ながらしょうもない。
せめて、「大切な人と食卓を囲めばなにを食べても美味しいと思える」、これを補足して終わろう。
あしたも写真を撮ろう。そして、もう少し内容の濃い話を書こう。
2020/04/10 こさいたろ
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