貨幣:極私的に諸説まとめた(1)
貨幣に関する研究・説はいくつかの流れがある。
素人らしく、つまみ食い的に雑感いれつつ紹介。
◉貨幣そのものに価値はあるのか?
まず、日本で有名な、岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』(1985~)で述べられた循環論法。これは超大事、世界に誇るものだと思うので、ここに至る主要な考え、学説をおさらいする。
貨幣商品説、貨幣法制説、そして貨幣みんなが使っている説ー内生貨幣論ー、
貨幣政府機能ー財政出動と徴税ー説、MMTを著名な研究者名とともに紹介する。
◉貨幣商品説と貨幣法制説
・学術的には「貨幣商品説」というものがかつては主流?だったみたい。
これは貨幣がおカネとしての価値を持つ根拠は、「お金は金銀などの価値あるものでつくられ、あるいはその交換が約束されている。おカネがおカネとして使われるのは、それが多くの人が手に入れたがる価値の高い商品だから」というものだった。
しかし1971年にアメリカドルが金兌換性を廃止し、世界は「価値あるものと交換が保証されない貨幣の時代」に突入した。それから50年経つ訳で、この「貨幣商品説」はもはや主流ではないらしい?です。
・かつて主流だった「貨幣商品説」に対して、国家や君主や共同体などによる法律や命令が、貨幣が貨幣として流通する根拠であると考えるのが「貨幣法制説」というものです。
◉古典:アダムスミスにおける貨幣論
そもそも、経済学の神様。アダムスミスの貨幣認識はどうなっているのか?
■前提として、社会で分業と交換が進展しているということ。
■歴史的な貨幣誕生のプロセスとしては「生産活動の効率化により、余剰生産物が発生した。すると、”人間の本性である自愛心の発動”され、交換が発生するようになる」という理解がある。
その上で
◉貨幣は価値を測定する役割をもつ
◉実際に広く交換の場面で使われるー仲介物ー
という貨幣のモノ・社会的な機能を定義する。
そして
◉貨幣の唯一の効用は、諸商品、すなわち、食物、衣服居住の便宜品~~を流通させることであり……貨幣は、商品を流通させることだけに役立つのだから、いわば何物も生産しない死蔵資本」とした。
つまり
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アダムスミスは
貨幣商品説を支持していない
さらに、『国富論』(1776)において
◉分業と交換が拡大する社会において、交換の不便を解消し、交換を確実にする手段を考えるのは当然のことであり
◉交換過程にあるほとんどの人が受取りを拒否しないようなある特定の商品を自分が所有していれば、自分の欲する商品が手にはいる。その意味において、この特定の商品が貨幣となり、それが交換の不便を解消し、交換を確実にする共通の用具が必要となる、と考えていた。
◉物々交換が頻繁におこなわれるようになると、商品所有者が欲求する物財はますます難しくなってくるー肉に余剰のある肉屋が革靴を欲しいとして、革職人は肉は食べたくないない状況ー。 使用価値が相互に一致する物々交換・直接的交換は、入手欲求が一致しないところでは成立しえないので、物財に対する欲求充足をきわめて困難にしてしまう。そのため、このような交換方式はそれがもつ限界の故に、自然に消滅する。
参考文献はコチラ(アダムスミスの貨幣認識について)
つまり
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アダムスミスは
1.貨幣は人間の日々の交換・営みそのものが生み出し、必要とされ、変化してきたもの
2.貨幣には「交換過程にあるほとんどの人が受取りを拒否しない」が要件となる、と考えていたようです。
つまり、「1.人間の毎日の自然な営み」という視点では、上記の「貨幣法制説」は違和感があるものの、「2.貨幣は”みんなが使う”のが前提条件」の視点では納得がいきますよね。
この次の段階・レベルに行くのが岩井克人さんなのですが、長くなったので『ヴェニスの商人の資本論』(1985~)『貨幣論』の循環論法は次の投稿に続きます...。
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アダムスミスについてはこちらの抜粋です。御礼申し上げます。
榎並 洋介『アダム・スミスの貨幣認識について』
*岩井克人の貨幣論について
参考記事1『第十二回「貨幣論の本質とは何か」』by小林慶一郎
参考記事2ダイヤモンドオンライン 『岩井克人が挑む「貨幣とは何か?」、シンプルで難解な問い』by堀内学