ネットやTVでよく見る『ウンコな議論』について
こんにちは、LEOです。
最近コロナの影響で、TwitterとかTVで、たくさんの議論が交わされていますよね。
でも、その中には見るに耐えない『ウンコな議論』がたくさんあるように思えます。
え?ウンコなんて汚いって?
でも、ハリー・G・フランクファートの著作に『ウンコな議論』ってあるので、まぁいいんじゃないですかね。
『ウンコな議論』とは?
それじゃあ、まず『ウンコな議論』がどういう議論かを考えてみます。
そもそも『ウンコな議論』の原題は『On bullshit』です。bullshitとは、bullが牛shitが糞なので、牛の糞を表します。この意味は、デタラメとかクソだとかの意味があります。
つまり、『On bullshit』をそのまま邦訳すると、クソッタレの議論とかになりそうです。ただ、クソッタレの議論だと、色々と問題が出そうなので、『ウンコな議論』にしたと推測できます。(ここに翻訳者と編集者の努力が見えますね)
しかし、『ウンコな議論』をしっかり定義して、はっきりと議論がウンコかウンコじゃないかを判別することは難しいです。そこでフランクファートは一応『ウンコな議論』の要素として、嘘には至らないものを挙げます。(嘘の定義はまた難しい問題ですが…)
もう少し具体性を持たせるために、そんな『ウンコな議論』を僕は2パターン提示します。
①発信者は確かな情報を知っているが、受け取る側をミスリードさせるように、情報を歪めて教えるパターン
②発信者が不確かな情報を信じ、あたかもそれが真実のように語るパターン
この2つのパターンは今のご時世めちゃくちゃよく見ますよね。
『ウンコな議論』①についての例題
①のパターンの『ウンコな議論』はメディアで見ることがあります。
例題あるTV番組で「コロナウイルスを押さえ込んでいる国のトップは女性である」とありました。さて、どこがおかしいでしょうか?(フェミニズムとかは考えないでください)
確かに「国のトップが女性」である国はコロナウイルスを押さえ込んでいるかもしれません。(勉強不足です)しかし、「コロナウイルスを押さえ込んでいる国」は女性が必ず国のトップであるわけではありません。つまり、「コロナウイルスを押さえ込んでいる国」において「国のトップは女性」という条件は十分条件の可能性はありますが、必要条件ではありません。
しかし、TV(特にニュース)では、事実と混ぜながら言うことで、このようなことを気づきにくくしています。これはまさにウンコですね。
『ウンコな議論』②についての例題
②のパターンは、結構身近に溢れています。最近だと、Twitterとかでよく見てしまいます。
例題コロナウイルスの蔓延により、お店の休業要請が出ています。そして、ある人は休業要請が出ているのに、営業している店を見つけました。そして、それに従っていない、と110番に電話をしていました。
この例題のウンコポイントは、まず休業要請についてです。やっている店が本当に休業要請にかかわる業種なのかをよく分かっていないまま、とりあえず休業要請が出ているからお店はやってはいけないと考えている人が110番に連絡をしてしまう、ということが考えられます。
また、110番もウンコポイントですね。その人は、ルールに合わないことはとりあえず警察に連絡すればいいと、事実を誤認している可能性もあります。
さらに、それに対して何かコメントをしてしまうのも、ウンコポイントです。このような記事は目を集めてしまいます。なので、別々の視点からそれに対してコメントをしてしまいます。それで、また真実を知ることから遠のく可能性もあります。
『ウンコな議論』に惑わされないために
このように見てみると、世の中に結構『ウンコな議論』はあるように思えます。このような『ウンコ議論』に対し、どのように反応すればいいのでしょうか。
やはり、ウンコ議論に対して、反応を示さないことが大切だと思います。特に公の場では避けたほうが懸命だと思います。
ウンコ議論は真偽が曖昧ではあるのですが、多くの人の興味をひきつけます。それゆえにいろんな人がいろんな視点から、それに対する見解を示します。そうなると、ただのウンコに便乗するだけの人になってしまいます。
なので、もし『ウンコな議論』を見つけてしまったら、そういう人もいると流してあげましょう。ウンコだけに…
参考文献
ハリー・G・フランクファート『ウンコな議論』山形浩生訳、ちくま学芸文庫、2006年