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草かよ
ひとり住めばあをあをとして草
これは、明治、大正、昭和初期の俳人、
種田山頭火が詠んだ句である。
時代は過ぎたが、ここに詠まれた自由律俳句は
私たちの液晶画面上に数多映し出される文体のやうである。
※今回はあへてこのやうな文体で書かせていただひております。
尤も、文末の意味が異なる限り、それを文体と纏めることは出来ぬと、
谷崎潤一郎先生あたりから嗜められそうでもあるが、
尺を含めたその佇まいは、まさに今、私たちが目にするもののそれである。
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優れた文体(あへてここでは使はせていただく)は、
100年の時を跨ぐに値するものといえよう。
そして驚くべきことに、山頭火の文体には、
今の世を生きるたったひとりの個人に受け継がれたものもある。
それをここに紹介しよう。
落ち葉の、水仙の芽かよ
言わずもがなである。
たったひとりの個人、
夏軍、三村マサカズのそれである。
せつかくなので、続けて一句。
ひよいと穴からとかげかよ
此れこそまさに、夏軍、三村マサカズのそれである。
いや、これらは全て、自由律俳句を代表する、
山頭火のそれでである。
そこで一句。
塩らふめんの奥底 梅干しひとつ