【創作】夢幻峡(妖精綺譚外伝) #シロクマ文芸部
こちらの企画に参加です。
(本文)
春の夢幻峡はひときわ美しい。只見川を前にした田中の口から思わず感嘆の声が漏れた。
福島県銀山町では全域に渡り只見川が流れていて山間でもあることから霧に覆われることも多く、いつの頃からか「夢幻峡」と称されていた。
その名を知らないまま平成3年に銀山町に引っ越してきた田中だったが、もしかしたら最初の春からその美しさに見惚れていたのかもしれない。
山と川、雪と霧が醸す風景は田中だけではなく見る者全てを魅了する美しさだった。
「課長、セッティング終わりました」
若い古川に声をかけられて我に返った。銀山町役場企画課の田中と古川は「広報ぎんやま」に掲載する写真を撮りに町の撮影スポットに来ていた。
田中は三脚に手を掛け安定感を確かめた。生真面目な古川が準備しただけに三脚はしっかりと立っていた。
「大丈夫だな、後は電車を待つだけか」
「はい後、5分くらいですね」
美しい夢幻峡沿いを走る会津鉄道只見線は「世界一ロマンティックな鉄道」と話題になったこともある、町の魅力の一つである。
(役場職員としてこの風景を見るのも今年度限りか)
田中は三脚の後ろに立つ古川の背とその先にある景色を温かい眼差しで見つめた。
平成3年に「一年限り」のつもりで就職した銀山町役場に33年勤務し、新たな春を迎えた田中だったが退職勧奨を受け入れて、今年度限りで退職するつもりでいた。既に退職している先輩職員、高橋の誘いに応じる形で高橋が社長を務める企業に転職する予定でいる。いずれは高橋の後を継いで社長に就任することを見据えての早期退職と転職である。
(そういえば
銀山町役場に採用になった初日に只見川を見ながら、高橋さんに「幻想的で美しい景色ですねぇ」と言ったら『美しいと言われて悪い気はしないが、只見川はありがたくもあり悩ましくもあるから少し複雑だな』と言われたな)
高橋の父が只見川の土砂災害で亡くなったことを田中が知ったのは、ずっと後のことだった。
(高橋さんには申し訳ないですけど、やはり春の夢幻峡は世界中のどこよりも美しいと思います。この美しい銀山町は、今も妖精が住むふるさとにふさわしいです)
微かに電車の駆動音が響いてきた。
妖精の住むふるさと銀山町では今年の春も、深緑の只見川、白銀の山々そして町で生きる人々の笑顔が、陽を浴びて燦々と輝いていた。
(おしまい)
#何を書いても最後は宣伝
本作は「銀山町 妖精綺譚」の外伝になります。Kindle出版もしていますが、次のリンクから全文、無料でお読みいただけます。創作大賞にエントリーしていますので、感想文とか応援をいただけると嬉しいです。
なお、創作大賞は本文のテキストしかありませんがkindle版は、「表紙+挿絵+写真+あとがき+イラスト」がありますので、本文と合わせて楽しんでいただければです。
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