【読書感想】エンド・オブ・ライフ
二十代の頃に聞いた話によれば、昔のインドにいた偉い人が言うには、
『人間は生老病死という、四つの苦しみから逃れられない。人間の根源にある苦しみなのだ』
ということらしい。それから少なくとも四半世紀を過ぎた今でも、この考えを飲み込むことができずにいた。
「その考え、間違いでは無いと思います、間違いでは無いと思うのですが、では、何故私たちは四つの苦しみ、八つの苦しみ、百八の煩悩を抱え、それでも、生きなくてはならないのでしょう」
と考える自分を納得させることができずに、歳を重ねてきた。生きて、老いて、病を抱え、様々な形で死とも向き合いつつ、解を探せずにいた。
今、考えていることが正しいのかどうか、確信は無いけれど、「エンド・オブ・ライフ」を読み終えて、一つの解を得ることができた。
「人間は四苦から逃れることも、克服することもできない。けれど、命の中には光がある。その光を育て、渡すために生きているのかもしれない」
本書は在宅医療をテーマにしたルポタージュと分類されるのだろう。しかし「これはルポタージュなのか」という疑問が拭い去れない。数年間の取材を踏まえ描かれている人間模様、事実を記録したという意味ではルポタージュなのかもしれないけれど、在宅医療に携わる、患者や家族、スタッフを客観的に記録して描写するのではなく、それぞれの登場人物の人生という舞台に一緒に上がり、ともに舞台を創り上げた作者による、一つの主体的な物語のような印象を受けている。
様々な方の生老病死を記録したこの物語は、時に目を背けたくなる地獄絵図のような場面を描きつつ、その先にある光を感じさせることで、曼荼羅のような尊さ、救済をも感じさせる。「生老病死」の先には、人の命には「笑朗幸喜」があることを示してくれる。人の意志は光を放ち、朗らかな笑顔を、生きる喜びを、共に在る幸せを生み出してくれることを教えてくれる。
ここで自分の話を挟むのもどうかとは思うけれど、二年前に不整脈の発作により救急搬送・緊急入院をした際に、自分の死を意識した。ICUで身動きもできないまま、酸素吸入、投薬や除細動器による処置を受ける中で
「このまま死ぬのか。それも良いかもしれない。けど、もし、生き延びることができたら、自分は何をすべきか」
そう考えたから、本書からの光を感じるのかもしれない。四苦に対し、時に抗い、最後に受容した方々の「エンド」という終幕ではなく、「生き様」という舞台を見せられたことで、あらためて「自分の舞台では、何を為すべきか」を考えさせられているのかもしれない。
一つだけ確かなことがある。僕は、今も生きている。
いずれ死を受容する時も来るだろう、けれど、今はまだ生きているのだから、光を求めて歩みを続けよう。
僕の手に入るのは、小さな、小さな光でしかないけれど、倦むことなく、絶やすことなく集め心の中で育てていく。それが「エンド・オブ・ライフ」の作者と登場人物から光を受け取った者の役なのだろうと思う。
ニ年前の十一月、旅先の道端で不整脈の発作を起こして動けなくなり、心臓が痙攣し、酸欠で意識が遠くなる中、通りすがりの方に救急車を呼んでいただくことで拾われたこの命。その経験をしたことで、執筆活動を行う、ペンネーム「福島太郎」が生まれた。
架空の存在ではあるけれど、光を求めて「生老病死」の先にある「笑朗幸喜」を捉え、育て、次代に受け継ぐために、この命を燃やし続けていく。
そのことを先人たちに誓おう。
過去に感謝し、未来を夢見て生きていく。