実らなくても
4月1日に「木幡山 隠津島神社」を参拝した時の写真と出来事を少し御紹介です。サムネ画像は展望台からの写真です。
何度かお越しいただいている方や「夢見る木幡山」をお読みいただいた方には定番のアングルかと思います。さらに、いくつかの写真を。
投稿の途中ですが、この本です。
この神社には参拝客が宿泊できる「参宿所」というところがあり、一角で「木幡カフェ」というものを運営しています。私も時々利用させていただいています。
4月1日にお邪魔した際には先客の方がいらっしゃいました。常連さんのようで、寛いだ様子です。その方が、カフェのママに
「あれ、こんな本置いてあった?」
と声をかけました。はい、私の「夢見る木幡山」です。刊行直後から「夢見る木幡山」と「光流るる阿武隈川」は、一角に置いていただいています。
「その本、この人が書いたのよ」
と、ママが紹介してくださいました。
その後、少し3人で会話をした後、
「本は好みがあるので、お渡しするのは恐縮ですが」
と、お客様に「スプラウト」をお渡ししました。こちらの本です。
木幡カフェに、スプラウトと会津ワイン黎明綺譚をお届けしていなかったので
「ちょうど、新年度のスタートだしお届けしておこうか」
という気持ちで、1冊づつ持参していたのですが
「これも縁というものか」
と考え、木幡カフェには「会津ワイン」、お客様には「スプラウト」としました。
また、この日は「コラボ御朱印」を授けていただきたく参拝したということもあり、余計に「縁」を意識した気がします。
こちら、左側が「竜泉寺」、右側が「隠津島神社」さんの御朱印で、最初はどちらかしか「印」がありません。双方を参拝することで、こうなります。
木幡カフェに置いてある本も、今回も含め私が知り合いの方などにお配りしている本も「利益に繋がる」という「実」は期待していません。そういう意味では、出店を予定している 「文学フリマ東京36(5月21日)、文学フリマ大阪11(9月10日)」も同様です。というか、「執筆活動そのもの」も同じような感じです。
ただ、福島太郎として生きていることを楽しみたく活動しています。その時々の感性のままに行動しています。利益とか損得とは異なる価値観を模索しています。
神社などを参拝する際に「願いごと」をしなくなり、随分とたちました。参拝する際に思うのは
「こうして参拝することができました。ありがとうございます」
という感謝、御礼参りの気持ちが強いです。同じように福島太郎として活動しながら
「こうして活動することができています。ありがとうございます」
という感謝の気持ちを具現化したいのかもしれません。
と、ここまで来て思うのです。木幡カフェや参拝の話を面しろ可笑しく書きたくて入力を始めたのに、全然違う内容になっている。これは、おかしいと。
それでも、誰の役にも立たない、実のない話、実らない活動も
「有りだろ、有」
と考えて、今日も生かされていることに感謝して過ごしたいと思います。
#何を書いても最後は宣伝
「利益」という実りが無いとしても、こうして、お読みいただく方がいるという幸せを感じられることが、福島太郎としての最大の実りであり誇りです。
と、タイトルや冒頭と全く逆方向の考えに至るのも
「有りだろ、有り」
と楽しんで、今日も生きていきます。