事件から降り損ねた不器用な男の物語 ー新幹線大爆破ー
新幹線大爆破は1975年に公開された作品で、邦画屈指のパニック映画と言われる。
当時最新の新幹線に爆弾を仕掛ける、という内容が問題になり、国鉄(現JR)の協力が得られなかったり、パニック映画の名作と言われる割に国内の興行成績が振るわなかったり、むしろ海外で評価が高くハリウッド映画に影響を与えていたり、といった内容はググればたくさんの記事が出てくるので、詳しくはそちらを参考にしていただきたい。
今回は、国内の興行成績が振るわなかった原因といわれる「犯人たちに寄りすぎ」な点を、さらに犯人たちに寄った感想を書こうと思う。
なぜなら、パニックに陥る乗客と国鉄職員のやり取り、犯行グループvs警察の構造は、今でも色褪せない。しかし、時代を切り取った「早い」作品でもあるため、46年たった今観るには、犯行グループについて、理解に辛さが目立つと思ったからだ。
何の罪もない乗客1500人と最新の新幹線を人質に取り、大金を要求するテロリスト集団。
そのメンバーは凶悪で狂った思想を持つ極悪人では決してない。
犯行グループは3人の男たち。
1人目は、リーダーで爆破装置を作った沖田哲夫(40歳)
2人目は、元活動家で爆弾の手配をした古賀勝(27歳)
3人目は、金の受け取りや爆弾の設置を担当した上城浩(19歳)
実際にはもう1人男がいるが、犯行そのものへのかかわりは少なく、事件直前に逮捕されている。
犯行の目的は金。しかも日本円で15億円という大金だ。そして問題があれば停車して調べるという新幹線保安の基本理念の裏を突いた、恐るべき知能犯でもある。
警察や国鉄は、犯行グループをそう評価する。
しかし、本当にそうだろうか。
確かに3人の男は、金に困っていた。
沖田が経営していた部品工場は倒産し、工場の土地建物は銀行の手にわたり、妻子にも逃げられた。
古賀は大学に進学するも学生運動で逮捕され中退。活動家間の内ゲバでボロボロになり、女のヒモをしていた。
上城は沖縄から集団就職で上京するも仕事は続かず、街で沖田に拾われ働き出した工場も、ほどなく倒産した。
そこで、総額15億円を手に入れて一発逆転。この失敗した人生をやり直す。
これはなかなか魅力的なプランだが、本気で金が欲しかったのは、犯行グループの中で一番若い、大城浩だけだったのではないだろうか。
彼らが目指したものはなんだったのか。それは、この犯行が成功して金が手に入ったらどうするのかについて話すシーンで表現されている。
上城は、ハーレーを買って、世界中を旅するんだ、と浮かれて語る。
そんな彼は、米軍統治下の沖縄で生まれ育ち、集団就職で上京している「金の卵」だった。彼のそもそもの目的は、仕事も少なく賃金も安かった地方から、仕事もあり賃金の高い都市部で働き、実家に送金することだったのではないか。彼の地元には、65歳の母と14歳の義理の妹が残されている。
対して古賀は、革命が上手くいった国へ行ってみたい、と言った。それによって彼が求めたのは、物質的な何かや、手に入れた金を元手に武力革命に参加することでなく、失った信頼を取り戻したい、という精神的なものだった。
学生運動が最も盛り上がりを見せた1969年に20歳だった彼は、大学で学生運動に出会ったのだろう。1971年2月、成田空港建設反対運動である三里塚闘争に参加していた彼は、第一次代執行の際にデモ隊を指揮し、公務執行妨害の罪で検挙される。さらに翌年5月の裁判では6ヵ月の判決を受け服役。出所後は、左派グループの激しい内ゲバで活動に嫌気がさし、大学を中退して女のところに転がり込むなど、自堕落な生活をしていた。
そんな生活にけりをつけ、社会で生きていこうとするも生活は苦しく、建設現場の事故でケガをしても十分な保障を受けられないなど、自分と仲間の扱いに不満と怒りを募らせ、爆破事件を起こすことを口走る。
現実でも「ノンセクト」と呼ばれる、古賀の活動家仲間の一部は「東アジア反日武装戦線」を結成し、1974年から75年にかけ、旧財閥系企業や大手ゼネコンを標的にした「連続企業爆破事件」を起こしている。
最初に古賀が爆破しようか、と言った建設会社は、連続企業爆破事件の標的にされている。
自分の夢を叶えるため、過去に失敗したプロジェクトをやり遂げるために、この犯行を成功させる。大城と古賀はそうだった。
では、リーダーである沖田は、何のために犯行に及んだのか。
これが、あまりはっきりとは描かれていない。
別れた妻子のためとも思えない。自分の会社を立て直す為でもない。金を手に入れたらどうするのか、と聞かれてもすぐに答えられない。そこで「俺は・・・ブラジルでも行ってみてえな」と一人つぶやくそれが、彼の本心だと、私には思えなかった。
そんな彼が、なぜ計画を実行したのか。
それは、仲間たちがそう望んだから。そして計画を実行できる技術や知識や道具が、彼にあったから。つまり、できそうだったから。ただそれだけだったのではないか。
そんな沖田は、昭和10年生まれの40歳。板橋で部品工場を経営していたが、会社は倒産している。彼の親兄弟はいっさい触れられない。
終戦時に10歳だった彼の父親は太平洋戦争に徴兵されていても不思議はないし、東京生まれだとしたら、疎開や空襲を経験しているだろう。もしかしたらそこで、親兄弟を失ったのかもしれない。
そんな彼が結婚し、家庭を持った。会社を守ろうと銀行を回るも資金は得られず、妻の親類から500万を借りるもそれも使い果たし、会社は潰れてしまった。また、その借金が原因で妻から見限られ、一人息子を連れて実家にもどる。
自分は役立たずだ。そう思っただろう。
会社も家族も失い、銀行の手に渡った廃工場で、大城と古賀と3人で犯行計画を練る。そして計画を実行に移した沖田は、その犯行計画の中でも、事件から降りる機会を失う。
資産も、会社も、家族も失う事になった彼だが、それは仕方がないことだ。
沖田の元妻、靖子からすれば、仕事を失い金もなく、親類からの借金を返すあてもない彼とくらべ、自分の力では返すこともできない500万を肩代わりしてくれうという親の勧めで離婚するのは、しかたがない決断だったのだろう。
また、靖子の親からすれば、娘に親類から借金をさせた挙げ句に会社を潰した沖田の元にいては、娘や孫は幸せになれない、離婚して自分たちの元に来るように言うのも、仕方がない。500万の借金を肩代わりすることは、沖田を助けることでもあったはずだ。
取引先だった太陽工業が潰れる沖田精機を助けなかったのも、銀行が沖田への資金調達に協力しなかったのも、オイルショックで物価が乱高下している最中に、他人の会社より自分の会社を守ろうとするのは、仕方がないことだ。
仕方がない、しょうがない、そんな妥当な判断の先に、積み重ねの上に、この犯行があったのかもしれない。
そんな沖田の結末は、作品を観て、ご自身で確認してほしい。
また、作品の最後に、もう一人の主役とも言える男が、この言葉をかけられる。彼も真面目で、責任感の強い、優秀な男だ。だからこそ、仕方がない事が理解できる一方で、仕方がないと割り切れない。
そんな彼の選択が原因で、家族に見限られたりしないことを祈るばかりだ。
彼が、沖田と同じ道を辿ることがありませんように。