タローパンと野球と阪神淡路大震災
世界では、WBCで侍ジャパンが活躍し、
甲子園では、センバツ高校野球が開催中。
大盛り上がり中の野球界⚾のニュースについていくのに今日も大忙しの堤店長(@taropan1929)。
実は、(名ばかり)追手門学院高等学校野球部OB会の副会長らしい。
ということで今日は、野球とパンの共通点はないのか?とインタビューを申し込みました。
共通点ではなかったのですが、エピソードが非常におもしろかったので、ここに残します。
1995年、阪神淡路大震災
1995(平成7)年1月17日の早朝、5時46分。
淡路島北端付近を震源に大地震が発生しました。
堤店長は当時、工場で食パンの生地を練っていたそう。
幸い、大きな機械や窯が少しずれた程度で、停電など大きな被害はなかったといいます。
「生地を丸めなくても丸まっていったっていうだけ覚えとるわ」
石橋のあたりは、大きな揺れもなかったようです。堤店長が記憶している被害といえば、家の水道管が破裂して、家の中が水浸しになったこと。バケツに水を汲んで、何度も何度も、窓から水を捨てたそうです。
「練った生地は、とりあえず焼いた。震災当日の店は、お客さんもいつも通り来ててん。明日からどうなるやろ、とは思ってた」
翌日。
「店のシャッターあけたら、めっちゃ人が並んでてん。家が停電してしまって、何も食べ物を用意できない人、少し遠くから来てた人が多かったな」
お隣の兵庫県の川西市や大阪の豊中市などは、家屋倒壊や停電などの被害が大きかったそう。その地域に住んでいる方が、石橋のあたりはお店が開いていることを聞きつけ、パンを買いに来ていました。
「昔修行に行ってた神戸にあるケルンの知り合いに電話してもつながらなくてな、でも行くわけにもいかんし」
ケルンの店舗自体は、震災により、潰れてしまっていました。知人とは、しばらくして連絡がつき、ほっとしたそうです。
一方のタローパン。2週間ほどは、たくさんの人がパンを買いにきていて、いつも寝ていない堤店長が、さらに寝れない日々が続いたそうです。
「いつも買ってくれていた近所の人が、買えへんようになってて。店の裏側から、コッソリ売ってた」
そんなこんなで、とにかく人が絶えないタローパン。パンを並べても並べてもすぐになくなります。種類よりも、とにかく速く作れるパンを大量に作っていたようです。
そしてあるとき、堤店長が工場の窓に耳を澄ますと……
国道171号線を走るトラックの運ちゃんの声が聞こえた
「神戸のがれきを運んでたんかな。トラックがたくさん通ってて。渋滞というか、全然動いてないねん。
トラックの運ちゃんがな、こっちに向かって『パンくれ!とりあえずくれ!』みたいなことを叫んでんねん。
当時俺は30ちょい。60歳くらいのおっちゃんから言われてな、ちょっと怖かったわ」
店の2階にある工場の窓の斜め上には、国道171号線が通っています。叫んできたトラックの運転手に向かって、あんぱんなど、丸い形をしたパンを窓から思いっきり投げました。
「2、30個くらいはほおったな。ちょっとは落ちたけど。
道路が少し上にあんねん。もう、力いっぱい投げてん。そしたら肩壊してしまって。当時草野球しててんけど、あんまり力込めて投げれんようなったわ」
トラックの運転手から、「お金ほおろか?」というようなことを言われたようですが、怖くて「ええです」と言ったそうです。
1月の中旬。冬の寒さも厳しいときに、おなかをすかせたトラックの運転手さんたちには、タローパンのやさしい味がとってもしみたと思います。
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