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『ともぐい/河﨑秋子』を読み終えた。脳内のさまよう足取りは重かった、、、

つたない思考で読書メモ、、、
ともぐい/河﨑秋子/分類913.6カ』を読み終えた。半年かかって順番まわってきた図書館予約の本。ハッピーな小説とはいえない。

タイトルの響きはおぞましい。
「ともぐい」、生きるためにといえば、自然界は無駄がない。主人公の熊爪は鉄砲打ち、熊を追う。時代の流れに無縁だとしても、人と煩わしくも関わる。山だけで生涯を完結してもいいはずなのに、温もりも欲しい。熊爪の生死観は孤独といわない孤独な獣と同化していそう。感情は持たない方がいい。私の脳内は獣の匂いや温度を感じながら、さまよう足取りは重かった。

人間界は紙一重、野蛮な世界はおそろしい。
「ともぐい」、仲間を食らう。
理性がない、情け容赦ない人間は「ケダモノ」といえる。
自分の都合ばかりを追い求めたら「ケダモノ」になるのかも。
どす黒いエゴ。「ともぐい」の思考がぐるぐるする。

雄と雌の「ともぐい」、カマキリやジョロウグモを想像するなら、まだグロさはましに思う。獣や人のそれは見たくはない。

小説の舞台は北海道だから熊はヒグマかな。
雄熊は雌熊の子熊を殺してまぐわる。それは本能か、個体によるものだろうか。小説の中の人間たちは気色悪い。生きものとしての人間の本性は気色悪いのかもしれない。

私の知る熊はツキノワグマ。
叔父や知人たちに鉄砲打ちがいた。彼らの家には剥製があったりするので怖く思ったりもした。熊や兎の毛皮の手触りは忘れていない。楽しく武勇伝も聞いたかもしれない。里山という土地柄だったから山の恵みのさまざまもいただいた。

「食べる」はやめられない。
「生きる」は食べ続けていく。
有り難く命をいただいている。
私だって気色悪い人間だものと都合いいように考える。

私は狩猟免許を興味本位で取ろうとしたことがある。講習会で模擬銃を分解、組み立て、かまえてみる。ずしりと重くて非力な私に扱えそうもない。銃をリアルに怖いと思ったからやめた。結局わな免許も取らなかった。かかった獲物をどうするのか。命を奪うのが怖い、その必要性はなかった。

必要なものはスーパーにある
生きていく欲はほどほどでいい
自然は癒し、自然は厳しい、それで十分、、、矛盾みたいなエゴ
ぐるぐると

ではでは

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