その文学ってなに?『喫茶店文学傑作選 苦く、甘く、熱く/林哲夫=編』
喫茶店文学とはなんだろう?と図書館で借りた本。
『喫茶店文学傑作選 苦く、甘く、熱く/林哲夫=編/分類913.6キ』
語りごとにちがうコーヒー・ブレイク。これはどこの?いつの時代?エピソードごとに頭が???になる。外国での体験記や小説はレトロだった。珈琲一杯が5銭や10銭、店員は女給さん、戦時中の喫茶店はスパイのたまり場だったとか。「カフェー」「カッフェー」「キャフェ」「カッフェエ」、著者の体験の言語のちがいか、カフェもいろいろだ。
今はコンビニの1杯100円とか120円で機械の挽きたてコーヒーでカフェ気分。私はスタバは利用しないが、たまにコメダ珈琲とかサンマルクで小腹を満たす。あとはレトロっぽい喫茶店でほっとしてみる。
その昔、邪宗門という名の喫茶店で静かに読書をする人を見て「わぁカッコいい」と妙にあこがれた。最近していた私のひとり喫茶といえばサイゼリヤでランチ&ドリンクで読書、その姿にカッコよさはない。
秋の今、おうちで牛乳たっぷりのあたたかいカフェオレで読書がいい。冷暖房費もかからず懐にもやさしい。
にわかネット調べ。
日本のカフェ文化としてのはじまりはフランスを模して19世紀から20世紀初頭にかけてっぽい。「カフェ」の原型は16世紀半ば、イスタンブールの「コーヒー店」だとか。「喫茶店」の「喫」は飲む吸う食べるなどの意味、もともとは鎌倉時代に中国から伝わった茶を飲むからきているらしい。
「エスプリのきいた」という言葉の「エスプリ」が気になって、、、
エスプリを鍛えるためにカフェに出かける。なんだかそういうとカフェは奥深いような気がしてくる。たましいを磨きにいくみたいに感じてくる。
給水ならば水道水を飲んでいればよいのだけれど、茶が飲みたい。「お茶する?」は子どもの頃からの習慣のようなもの。ひとり読書もいいが、誰かと一緒に楽しむ時間もいい。「お茶する?」「カフェいく?」の喫茶店はそういうお気軽なコミュニケーションのツールなのだ、納得。
傑作を見つける選ぶって大変そう、編者の林さんは「読者にも悦楽を味わっていただきたい」と解説で締めくくっていた。私は読むだけ楽しむだけ。
傑作選の中身はこちら、
長尾みのる コーヒー・ブレイク
澁澤幸子 「賜物だよ」と八百屋のおじいさんは言った
犬養道子 女ひとり(抄)
辰野隆 旅のたより
岡本太郎 色気と食い気
久米正雄 バラック・カッフェエ
稲垣足穂 カフェの開く途端に月が昇った(抄)
辰野信之 あの頃
永井荷風 おもかげ
田村隆一 ぼくのコーヒーハウス
串田孫一 火曜日の午後
安西冬衛 会話のエスプリを鍛えるために
三島由紀夫 私の遍歴時代(抄)
矢川澄子 W・ベンヤミンに倣って
岩城宏之 étude調子はずれの木琴
五木寛之 私たちの夜の大学
川崎彰彦 ぼくの早稲田時代(抄)
富岡多惠子 植物祭(抄)
中上健次 吹雪のハドソン川
森山大道 逗子
筒井康隆 二人でお茶を
田辺聖子 おちょくり喫茶
森茉莉 後期―原稿紛失の記―
長くなってしまった。
ではでは