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ちくりと胸が痛む『あした死ぬ幸福の王子/飲茶』を読んで向き合うこと

あした死ぬ幸福の王子/飲茶/134』
ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」とても読みやすかった。

存在とは?「存在がある」を説明するのはむずかしい。哲学って、人間の無力さを追求するものかな。わからないをわかりたいとする気持ちが思考させるのか?人間の存在が哲学の存在。

物語のテーマは、死と向き合う。
身近な人を失う辛苦の経験があったとしても、どれほども私自身は「自分の死」が身近でない。生死をさまようような体験もない。死の想像はただの思い込みなのかもしれない。あの世でまた会えたらとか、来世でまた会おうとか。それは気休めだ。

「過去の今、今、今」と「現在の今」と「未来の今、今、今」の時間の連続も不確かという。死んだら終わり。私は存在しないものとなる。私の時間と心はどこへ行く?そういう思考も終わり?わからないのだ。

本来的な生き方と非本来的な生き方から導き出される終章の物語は哀しい。
究極の自己犠牲のような物語は「良心」を問うもの。よく知る物語だった。

後悔がよみがえる。胸がちくりと痛む「良心」は誰にでもある、と思いたい。なぜ「幸福の王子」なのか?よくわかった気がする。
かけがえのない存在というものを考える。
過去から学べと哲学は問いかけてくるよ。

ではでは

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