希死念慮に至る経緯と逃れ方
自身の経験からいわゆる自殺願望ってところをちょっと考えてみたいと思います。
結論から書くとこれって別に死にたいんじゃなくて現状がキツくてたまらんから死ぬ以外方法が残ってないor死ぬことで救いがあるかもしれん
という状態でした。学校に普通に行けない自分が情けない、仕事の出来ない自分に価値はない。
「何がしたいの?」
と聞かれても何も出来ない歯痒さだったり、そもそも何なら出来るかわからない状態で生きていても仕方がないやらとにかくゴチャゴチャした思考回路中に突発的に死にたくなるんですよね。
アレには参りました。今振り返ると根底にあるとてつもなく強いマイルール縛られるからこうなっちゃう(自責やら視野狭窄)んですよ。
「こうあるべき」
これが全ての元凶と言ってもいいかもしれません。マイ宗教です。
何かしらよくわからん、今現時点でどうしようもない所を他人と比較して自分を責め立てて勝手にダメージを受けてしまう。で、どうしようもないとしか結論が出ないものに縛られて苦しむ。
ちょっと考えてみましょう。〇〇歳だから、男だから、女だから、長男だから、長女だから、とかく〇〇だからしなきゃならないのに出来ないから情けないって苦しんでいることありますか?あるなら一旦横にのけてみませんか?最終的にしなきゃならんこととしてもちょっとだけ脇に置いて、そして少しだけ出来なくてもオッケーって自分を緩めてみてください。
足を骨折しているのに100mを10秒で走れますか?無理ですよね?(骨折してなくても無理というのは置いておいて)もし、他人で〇〇のくせにって言ってくる人がいたらキレていいんですよ。お前、なら足骨折しても走れよ!って
ギャーギャーうるさい外野は口だけだして手は貸してくれないから、頑張って潰れてもムカつくこと言われるだけなんすわ。それこそコッチが頑張れないことで相手が困っても知ったこっちゃない。このくらいでいた方がいいんです。まずは自分大事に。
嫌われる恐怖感だったり、世間体が気になったらするけど、それで潰れたら本末転倒なんですわ。
〇〇しなくてもいいって思うとちょいと楽になりませんか?
仕事しないと生活出来ないとか色々考えてしまいますけど、それは元気になってからなんです。順番が違う。
1つしか余裕がないのに3つも4つもやろうとしても出来るはずがない。その出来るはずのないもので、また落ち込んで苦しむことになるくらいならば諦めやらない方が実際マシ。
あと、最終的にどう頑張っても生物である以上死ぬんで今現在死にたくて苦しくても大丈夫。絶対死ねる(笑)
だから、どうせ最終的に死にたい願いは叶うんだから急がないでとりあえず楽しいこと、嬉しくなれそうなこと、出来そうなこと、何も考えなくて済みそうなこと、なんでもいいから気が紛れる方向に一歩踏み出せる元気が出るように、図々しく無責任に甘やかして。
勿論、それが最初から出来るなら苦しんではいないと思う。死にたくなっていないと思う。
でも、それでも自分で自分を責めるのをやめるとね、どうにかこうにか苦しさは減る。だって、自分の意識は常にあるのにそこからずーっと攻撃されるんだぜ?そんなキツイ話はないわけよ。
他人の思い込みや考えを変えるのは難しくて、相手が変えたいと思わない限り無理なんだよね。自分もそうでさ、救いを他人に求めてしまうけど自分が変える気がなければ変わらないのよ。つまり、自分でしか変えられないのさ。だから救いは外部ではなく内部にある。
あの時の苦しんでる真っ最中の自分にこの言葉を送っても多分届かないとは思う。それを受け入れるキャパがなかったし、とにかく情けなくて苦しくて寂しくて居場所がなかったから。
でも、それでもやらなくていいっていう肯定があったなら少しは違ったんじゃないかなっては思う。頑張らなくていい、やらなくていい。だって出来ないんだから。
やらなくてもいいということと、出来ないということを受け入れることが出来ればメンタル的にはだいぶ余裕が出来る。
自分しか自分を許せないからね。