お客様は神様です・・・本当?
こんにちは。みーきちです。
今日は「お客様は神様です」という言葉についてのお話です。
よく「お客様は神様だ」という言葉が使われます。
結論から言うと、私は、お客様が神様だとは「思いません」。
理由は色々ありますが、仮に私がコンビニ店員の場合、以下のような会話が繰り広げられる恐れがあります。
私「いらっしゃいませ~」
暴力団風の金髪男「えーっと、フライドチキンを1つ」
私「フランクフルト1つですね。少々お待ちくださいませ」
男「いや、フライドチキンを1つだわ」
私「失礼しました。フライドチキンですね。少々お待ちください」
男「・・・。」
私「お待たせしました。フランクフルトです!」
男「いや、だからフライドチキンだっつってんだろ!」
私「あれ?お客様のご注文は、フランクフルトではありませんか?」
男「お前、いい加減にしろよ!フライドチキンだ!フ・ラ・イ・ド・チ・キ・ン!」
私「かしこまりました。ホットコーヒーを1つですね!」
男「あぁ~もうイライラする!フライドチキンだ!何回言わせんだてめぇ!」
私「本当にフライドチキンでよろしいですか?」
男「いいよ!フライドチキンだよ!揚げた鶏だ!揚げ鶏だ!」
私「えーっと、フライドチキンと揚げ鶏が別メニューでございますが、揚げ鶏でよろしいでしょうか?」
男「え?そうなの?めんどくせーな。じゃあ揚げ鶏でいいから、早く出せよ」
私「お待たせしました。フライドチキンです!」
男「あ~もうイライラするなぁ!フライドチキンあるんなら、最初から出せよ!」
私「お会計は1万8,000円になります」
男「てめぇ!この期に及んで俺からぼったくる気か?ふざけんな!」
私「お客様は金髪ですので、特別料金が加算されます」
男「なんだよそれ!意味わかんねーよ。もういいよ、店長を呼べ」
私「私が店長ですが」
男「お前が店長なのかよ!この店終わってんな!ぜってー払わないからな!300円にまけろ」
私「お客様がここで『地毛証明書』を提出して頂ければ、割引致します」
男「地毛証明書?なんだそれ?これは地毛だよ地毛!わかったから300円にまけろ」
私「お客様はどうみても地毛には見えませんが・・・」
男「あーもう!キレた!俺、今キレたよ!お客様は神様だろうが!いいから300円にしろよ!」
私「お客様は神様なのですか?」
男「あたりめぇだ!俺は神様だ!」
私「失礼ですが、お客様はヤハウェですか?」
男「はぁ?なんだそれ?ちげーよ」
私「では失礼ですが、お客様は神様ではございません。お会計は1万8,000円です」
男「はぁ、なんだか疲れたよ。俺はもう疲れた。もういい、他の店に行く」
私「かしこまりました。またのご来店をお待ちしております」
男「もう来ねーよ!」
私「いらっしゃいませ!」
黒髪の女「フライドチキンを1つ」
私「フライドチキンを1つですね。少々お待ちください。お会計は200円です」
男「おい!てめぇ!いい加減にしろよ!」
私「?」
男「なんで俺にはちゃんと売ってくれねぇんだ?」
私「お客様は神様です」
男「はぁ?」
女「私がヤハウェである。Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν」
長くふざけた文章を書きましたが、私が考えるに、お客様は「神様ではありません」。
もともと「お客様は神様です」という言葉は、演歌歌手の三波春夫さんの言葉が発祥と言われています。
このサイトでは、以下のように述べられています。
三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。
このことからも分かるように、「お客様は神様です」という言葉が、本来の意味とは異なる解釈をされてしまった結果、哀しいかなコンビニに来店する神様が増えてしまったと考えられます。
中には、店員のミスを責め、店員に土下座を強要する神様もいます。
土下座の強要は「強要罪」にあたる犯罪です。犯罪をおかす神様なんて、なんだか滑稽ですね。
そんな私は、無神論者ですが、神様の存在を否定はしません。
神様の存在があるおかげで、私がタンスの角に足をぶつけた時に「神様、お助け下さい」と都合よく祈りを捧げることができます。
時に、神の存在があることが原因で宗教戦争が起きたりしますが、本来、宗教は人々を幸せにするためのものです。
それぞれの人々が信じる教えをお互いに尊重し合える、そんな社会になって欲しいなと、私は考えています。