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心臓が1日に2度止まった話

ああ、死ぬかも。

そう思ったことが僕は人生で2度あります。

1度目は小学3年生の秋

僕が通った小学校はお昼休みに壮絶なブランコ争奪戦が繰り広げられます。
全校生徒約150人で争う僅か4つのブランコ。

勝ち取った者はお昼休み15分間、ブランコ王に君臨した気分を味わいながら高々とブランコを漕ぎ、最高にハイな状態で5時間目を迎えることができます。

僕はブランコ王になるため、給食のご飯をダイソンの掃除機も驚きの速さで吸い上げていました。

ラストスパートはりんご

ろくに噛まず飲み込んだ瞬間、呼吸ができなくなってしまいます。
そうです。りんごが喉に詰まりました。
今考えるとおおばかやろうですが、当時の僕はブランコが全てだったので許してください。

まだ小さかった僕は、苦しくてなんとか周りに知らせようと暴れていた気がします。
気が付いたら担任の先生に助けてもらっていました。
この後、大泣きして先生に抱きかかえられながら急いで保健室へ。

この先の記憶はほとんどありませんが、ケロッと元気になって放課後遊んでいた気がします。

昨今であればおそらく大ニュース&給食にりんご禁止令が出ていたかもしれません。地元のりんご農家さんに被害が出なくてよかったです。時代に感謝。




長くなってしまいすみません。
本題です。

人生が大きく変わった出来事

2度目は今年の9月
地元を離れて東京に一人暮らししていた僕は、ゲームが大好きな社会人として過ごす日々。

ゲーマーである僕はここ数年ハマっている大型MMORPGのFinal Fantasy XIV(通称ff14)や、友人の薦めで去年始めたLeague of Legendsにどっぷりつかっており、仕事以外はほぼゲームの毎日。
夢で世界を救うゲームの英雄になる自分を何度も見ることも。

そんなゲーマーの僕には12歳離れたかわいい弟がいます。年は離れていますがかなり仲がいいです。ほぼ毎日LINEや電話がくるのが唯一の癒やし。

平和な毎日の途中、21歳の時に患った狭心症(冠動脈が狭くなり血液が流れにくくなる)が悪化し、5年後の今年9月に手術が必要と言われ入院することになりました。

入院前日

入院前最後に弟と電話しました。
僕「万が一何かあったらお父さんとお母さんを頼むよ。僕は元気だから○○○(弟の名前)も元気だしな~」

弟「兄ちゃん起きたら東京のポケセン連れてって!マイクラで俺の街の見に来て早く元気になって!」

地元の街をMinecraftで再現し、それをどうしても僕にみせたいそうで毎日アピールしてくる。かわいいなあ~。

仲がいいゲーム友達からは応援メッセージ付きのイラスト色紙をいただき、普段よくやり取りする別のゲーム友達とは入院中もLINEで日常会話をすることで手術の恐怖が和らぎました。ありがとう友達。

このときはまだ、何事もなく終わるだろうと思い込んでいました・・・

入院後

入院してから2日経ち、手術を2日後に控えた深夜3時頃。
睡眠中突然左肩から背中にかけて鈍器でぶっ叩かれたような痛みに襲われます。
あまりの衝撃で一瞬何が起きたかわからず、車に弾き飛ばされたかと錯覚してしまうほど。


いっっでええええええええ
ぐああああああああ””””””


この時の衝撃は今でも覚えています。多分僕の人生で一番大きな声が出ました。他の病室の皆さんうるさくてごめんなさい。

決死の思いでナースコールを押します。

これが手術前最後の記憶。

痛すぎたのか意識がなくなりました。
この時、心臓の負荷具合がわかるNT-proBNPという数値によると900以上は心不全の可能性がかなり高いが、僕の場合は4000弱だったそう。
4.5倍はさすがにやばい。。

参照:一般社団法人日本心不全学会 https://www.asas.or.jp/jhfs/topics/bnp20231017.html



突然起きた心肺停止

心筋梗塞を発症し手術室に運ばれました。この時1度目の心肺停止状態になります。
電気ショックが何度か行われました。
お医者さん、看護師さんに尽力いただき、なんとか心臓が動き出します。

当時待機室にいた2個上の姉は、心臓が止まった一報を聞いて何も考えられなくなり立つことができなくなってしまったそうです・・。
心配かけてごめんね。


心臓が動き出しこのまま緊急手術。カテーテル治療が難しい位置のため冠動脈バイパス手術です。


2度目の心肺停止

胸の骨を切って開胸を行った瞬間、まさかの2度目の心肺停止状態に。

このときは心臓のエキスパートである心臓外科のお医者さんもかなり焦ったそうです。

開胸中のため直接心臓マッサージを行ったと後日聞かされました。
ナルトのワンシーンでしか見たことありません。現実に起こり得ることなんですね。

皆さんの決死の蘇生により再び心臓が動き出します。

しかしこの時、同時に大動脈解離を起こしかなり困難な手術が必要とされ、ドクターヘリで急遽都内の大きな病院へ搬送されます。

搬送先の病院で大量出血による全身輸血と心筋梗塞により、9時間の大手術を経てなんとかに位置名を取り留めました。

話によると大動脈解離による大量出血がかなり大変だったそうで、もし自宅で倒れていたらおそらく亡くなっていたとのこと。
生きててよかった~~~


手術から3日後

心臓集中治療室(CCU)で目を覚まします。人工呼吸器を装着し全身管だらけです。長い夢をみていた気がしますが思い出せません。
呼吸しづらく、自分の身体が石のようで全く動かすことができない状態でしたが、またすぐに寝たと思います。

目が覚めると何やら看護師さんが慌ただしい様子。
数分すると中学生の弟と母がすごい勢いで駆けつけてきました。

弟と目があった瞬間、二人が泣いてしまったきがします。
ここで自分の身に起きたことの重大さに気づきました。


目が覚めた次の日

その後、1日経ち人工呼吸器が外され手首から下のみ動かすことができるように。

でも、頭がボーッとしており自分の置かれた状況もわからないです。

そんな中、とある友人に手術が無事完了した事をなんとか伝えたいと頭をよぎります。
人工呼吸器の影響で喉が痛く、数日寝ていた影響もあり声がうまく出せません。
看護師さんからコミュニケーション用の専用デバイスを受取り、友人にLINEで報告したいと伝えます。

スマートフォンを無事受け取り手術を心配してくれていた友人に一言。


生きてたわ


LINEを送りました。
ここで、今まで一緒に遊んだ思い出が頭をよぎって急に涙が込み上げてきました。
感謝の気持ちでいっぱいです。心配させてごめんな!¥

そんな時、横をみるとゲーム友達からもらったイラスト色紙が目に入ります。


”手術がんばれー”


この一言を見たら涙が止まりませんでした。
その後、様子をみていた看護師さんにめちゃくちゃ心配されたことを覚えてますw



現在

色々あって1ヶ月に及ぶ入院生活の末、10月末に退院して今に至ります。

入院中や退院後も僕の体には様々な異常が出てしまい、以前のように毎日ワイワイ騒ぎながら遊ぶことが難しくなってきました。
それでも、元気な時はなるべく友人達と喋りながらゲームをしています。
まだ僕は生きてみんなと遊んでいいんだ。助けてもらった命で毎日大切に過ごそうと思います。


お腹が減ってしまい記事を書くのに集中できなくなってきたので今回はここで終わります。


僕を生かしていただいた全ての医療関係者、献血に協力してくださった皆さん、家族、小中高大の友人、ネットゲームで知り合った大切な友人達、それとりんご窒息事件から救い出してくれた担任のT山先生、全てに感謝です。

助けてくれてありがとう。






余談

弟がお見舞いの時にもってきてくれた黒薔薇の造花。理由はカッコイイからだそう。
花言葉意味を調べてみたら少し不穏だったので見なかったことにします。弟はかわいいから許す。



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