ロダーリ ヴェネツィアを救え あるいは 魚になるのがいちばんだ を読んで
みなさん、こんにちは。ロダーリの「猫ととともに去りぬ」に収録されている「ヴェネツィアを救え あるいは 魚になるのがいちばんだ」を読んだ感想を書いていきます。
あらすじです
※ネタバレを含みます
ヴェネツィアに住む保険営業マンのトーダロが、奥さんであるザンゼと話すところから始まります。
「これは、一大事だ。今すぐ、子供たちを集めてくれ」
トーダロの言葉にザンゼは子供たちと姪っ子を家の中に集合させます。
「今日から俺たち家族は、魚の姿になって生活することにした」
??? 突然、何を言っているのか理解できません。
トーダロによると、新聞で「1990年までには、ヴェネツィアは完全に水没してしまうだろう」という記事を読んでいました。詳しい記事によると、東京大学の教授がそれを証言しており、サンマルコ寺院の鐘楼の最上部だけが浮いて見えるようになるかもしれないと書かれていたのです。
まずいな。あとわずかしかないじゃないか
焦ったトーダロは、魚の姿になることを思いついたのです。
もし、ヴェネツィアが水没したとき
水中での生活が早く慣れる
生活費などにかかっていたお金も浮く
おまけに、大家や電気店の主人に家賃やテレビの月賦を支払えなくて済む
という下心もありました。
ザンゼは「私の姉の村に避難すればいいのでは?」ということを提案しましたが、トーダロは反対します。子供たちは、父親の言葉に反対するどころか、その話を聞きます。というのも、魚になれば学校に行かなくていいと思ったからです。
その日の夜。トーダロ一家は運河の岸まで行き、水に入ります。もう、誰も父親の意味不明な言葉に違和感を抱くことなく、魚になろうと懸命にイメージトレーニングをするようになります。
トーダロの指導では
まず、ひれが生えるようにイメージトレーニングする。
右腕に一枚。左腕に一枚。
という感じです。
ザンゼは余計な心配ばかりするので、なかなかひれが生えません。一方、子供たちは学校が休めるのでやる気が増し、立派なひれが生えました。
やがて、トーダロ一家は魚になって生活するようになります。
トーダロ一は大きな魚になって帽子を被っていました。水面上で船の乗客や船員に向けて「船舶保険」を契約してもらうよう、人間の姿と変わらないまま営業マンの仕事をするようになります。同時に彼の姿を見ようと、ギャラリーが集まります。彼が魚になった姿を多くのギャラリーが好奇の目で見てくれるおかげで、次々と新規の保険契約をとることに成功します。
子供たちは魚になって喜ぶどころか、落胆してしまいます。なぜなら、学校には行っていないものの、魚になった元教師が魚になった子供たちを授業するようになったのです。
ザンゼと子供たちは別地区へ泳ぎに行った際、その地区の子供たちが彼らに興味を持つようになり、魚になる方法を教えていきました。中には、イメージトレーニングが上手くいかず、魚になれない子供もいましたが、たいていの子供たちは魚になって、はしゃいでいました。
それを見た年配の元教師が
「大変! このままでは、子供たちが勉強できなくなるわ」
と思うようになります。
突っ込むところ、そこじゃないでしょ。思わず、ツッコミたくなりますが、元教師は家にあった古ぼけた教師の制服を引っ張りだしました。
元教師が運河に入ると、すぐに魚になり、
「はいはい、みなさん。集まって」
何事もなかったように、両ひれを叩きながら号令しました。その声を聞いて、魚になった子供たちははしゃぐを止め、一斉に魚先生を見ます。
「うるさいな。遠くへ行ってやる」
と思いましたが、子供たちはなかなか遠くへ逃げようとしません。
なぜなら
魚の習性からすれば、遠くの島まで泳ぎたい気持ちが芽生えます。しかし、子供の習性として、先生の声に無条件で反応し、口ごたえせずに従うようにしつけられていたからです。
魚になった子供たちは魚教師のところへ集まると同時に、授業が始まります。結局、学校にいるような感覚になってしまいました。
それから月日が経ち、ヴェネツィアの人全員は魚の姿になって生活するようになります。
そんなとき、トーダロ一家の息子のベーピがある大発見をします。それはヴェネツィアのラグーナの海底に頑丈なファイルに保存された未解決書類が、数メガトンほどの莫大な量がうずもれているのを発見しました。
「そりゃ、海面が上昇するわけだよ」
ベーピは緊急事態を知らせた結果、トーダロを始め、消防隊員や水難救助隊員を動員し、問題を解決していきます。すると、ラグーナの水位が下がり、地底が上昇し始め、ヴェネツィアは水没から免れました。
「これで、魚になって生活する必要がなくなったな」
やがて、トーダロ一家を含め、ヴェネツィアの人全員は、人間の姿に戻って生活をするのでした。
感想です
トーダロの考え方が常識外れのぶっ壊れ具合満載でした。魚になる姿のイメージトレーニングをしているのを真面目に熱く行い、指導する。
まるで
誰も思いつかない発想が野性爆弾のくっきーさんのようなもの
もしくは
熱いイメージトレーニングが松岡修造さんのようなもの
という具合で想像してしまいました。
始めは魚になった人間を見て、好奇に思っていた人々が何事もなかったかのように魚の姿になって生活する。そのような常識や考えを切り替え、染まっていく姿を見ると、
時代の流行に移り変わりしやすい、私たち人間と似ているのかもしれません。
トーダロの言った言葉が、心に響いたので載せていきます。
「つまり、行動を開始するんだ。何ごとも始めが肝心。思い立ったが吉日。やってみなければわからない。行くぞ」
引用
「猫ととともに去りぬ」から「ヴェネツィアを救え あるいは 魚になるのがいちばんだ」P58 ロダーリ 著 関口英子 訳 出版社 光文社古典新訳文庫
今はコロナが蔓延し、ニュースをみるたびに感染者が増える一方です。多くの人は、いつ収束するのだろうと不安を抱えているでしょう。自宅療養や外出自粛の影響で日々の生活に対し、刺激が少なく、やる気も起きない。そういう不安も少なからず、あると思います。
それでも
今できることを一つでも見つけていく
逆境にたたされても、自分のひらめきを信じて行動していく
イメージトレーニングをして「今後、自分は何になりたいのか、もしくは何をしたいのか」を想像する
といった大切さをトーダロが言っているのではないかと思えました。
最後まで、読んで頂きありがとうございます。