バニシング・ポイント〜スピードに取り憑かれた男たちは、いつも人のために嘆こうとした
『バニシング・ポイント』(Vanishing Point/1971年)
スピードに取り憑かれた男たちがいる。
真っ先に思い出すのは、アイルトン・セナ。自動車レースの最高峰F1を、「感動的な人生ドラマ」に変えた人。有名なのは、過去のチャンピオンに比べてレース中に接触回数が多すぎると、“危険なドライバー”の烙印を押された時、彼は権威に対してこう言ってのけた。
従来のスポーツヒーローにはない魅力を放っていたセナは、1994年5月1日に行われたサンマリノGPの決勝レースで、ポールポジションからスタートしたまま、300キロ以上のスピードでコンクリートウォールに激突。それはあまりにも象徴的な死にざまであった。
また、『i-D JAPAN』の特集「疾走せよ:Road to Nowhere/クルマと自由をめぐる冒険」(1992年6月号)で、ジェームズ・ディーンやレーサーの高橋徹について触れたことがある。
同特集には他にもハリー・ディーン・スタントンとジャック・ケルアック(柳下毅一郎氏)、デニス・ホッパーとスティーヴ・マックィーンとサム・シェパード(大場正明氏)、ブルース・スプリングスティーン(森田義信氏)といったように、「クルマによって加速され、自由に向かって疾走した男たち」が取り上げられていた。
ここにもう一人加えるとするなら、コワルスキーという男かもしれない。リチャード・C・サラフィアン監督によるニューシネマ『バニシング・ポイント』(Vanishing Point/1971)の、バリー・ニューマンが演じた孤独な主人公。
カリフォルニア、日曜日。午前10時2分。コワルスキーの1970年型ダッジ・チャレンジャーは警察の包囲網から逃れている。コワルスキーの行く先には、2台のブルドーザーによるバリケード。なぜこんな事態になったのか?
その2日前。コロラド州デンバー、金曜日。午後11時30分。車の陸送屋として臨時に働くコワルスキーは、休む間もなく70年型ダッジ・チャレンジャーを、2000キロ以上離れたサンフランシスコまで届ける仕事を引き受ける。
おまけに知人と、15時間以内に届けるという無謀な賭けにも出る。その瞬間からガソリン給油以外は止まらず、食事も口にしない眠らない時間が始まっていくのだ。
平均時速200キロのスピードで、何かに取り憑かれたように走り続けるコワルスキー。彼の過去の人生がフラッシュバックするたび、ベトナム戦争の元海兵隊員であったこと。元警官であったこと。元レーサーであったこと。そして恋人と死別したことなどが判明していく。
執拗に追ってくるパトカーの追跡をかわすうちに、やがてコワルスキーの疾走はニュースに。
そんな中、盲目の黒人DJスーパー・ソウルが、コワルスキーに反体制のようなメッセージを感じて、自らのラジオ番組で支持を声明。砂漠や包囲網に迷い込んだコワルスキーを助けるヒッピーやアウトローがいる一方で、スーパー・ソウルは保守的な人種差別主義者から暴力を受ける。
カリフォルニア、日曜日。午前10時4分。コワルスキーは少し微笑みながら、バリケードに向かって加速する。バニシング・ポイント(消失点)に向かって……。
ただそれだけの展開にも関わらず、この映画は何度でも観たくなってしまう。
コワルスキーは反体制や自由のために走っていたのか。それとも汚れた社会や悲しみや愛することすべてが嫌になったのだろうか。そんなことは分からない。
どこまでも伸びる道路の白線に、タイヤを乗せながら猛スピードで駆け抜けていくあの感覚。
セナもケルアックも、ディーンもコワルスキーも分かっていた。クルマはリビングじゃない。体感するものだということを。路上を見つめながら生きた男たちは、いつも「人のために嘆こう」と泣いていた。
なお、『バニシング・ポイント』は1997年にリメイクされたり、英国バンドのプライマル・スクリームが同名タイトルのアルバムとシングル「コワルスキー」をリリースして話題になった。
映画ではデラニー&ボニーやリタ・クーリッジがヒッピー役で登場して演奏。マウンテン、ビッグ・ママ・ソーントン、サム&デイヴらの曲も使われている。
文/中野充浩
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