見出し画像

断絶〜“2人の有名ミュージシャン”が主演したロードムービーの衝撃

『断絶』(Two-Lane Blacktop/1971年)

モンテ・ヘルマン──「低予算B級映画の帝王」こと、ロジャー・コーマンに見出されて、1959年に監督デビューした彼は、1960年代にジャック・ニコルソンと組んでカルト西部劇を立て続けに撮った後、初めてメジャースタジオからお声が掛かる。

アメリカン・ニューシネマの登場で、大作不調に陥っていたユニヴァーサルは、ヘルマンに95万ドルの予算を与え、新しい時代の波に乗ろうと目論んでいた。『イージー・ライダー』のような作品が生まれることを期待していたのだ。

しかし、コーマンのもとで育った反骨精神旺盛なヘルマンには、最初からそんなリクエストに応えるつもりはなかったのだろう。

数百人のオーディションから決めたメインキャストには、シンガー・ソングライターのジェームス・テイラー(22歳)とビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソン(26歳)、さらにはローリー・バードという、17歳の元ヒッピーの女の子といった顔触れが揃った。話題性はあるが、誰もまともな演技経験などない。

演技ではなく、そこに起こったことを撮る。モンテは一種のドキュメンタリーに近いものにしたかったんだ。撮影自体が一種のロードムービーのようなものだった。(ジェームス・テイラー)

『断絶』コレクターズ・エディション付録ブックレットより

唯一、名優ウォーレン・オーツにだけは脚本を渡し、後は即興演技を求めていくつものテイクが重ねられた。撮影は映画の流れと同じ、LAからワシントンDCへと移動していった。

タイトルは、『断絶』(Two-Lane Blacktop/1971年)。原題は「アスファルトの二車線道路」という意味を持つ。

彼は僕たちに脚本は渡さず、いつも1ページ、その時に撮る分しかくれなかった。それで初めて自分の台詞を知るわけだ。モンテは僕らにこの世界が創造できることを信じてなくて、ある環境に僕らを置いてその反応をカメラに撮ろうとしたんだと思う。(ジェームス・テイラー)

『断絶』コレクターズ・エディション付録ブックレットより

そして、雑誌『エスクァイア』は、まだ公開もされていない本作を特集。脚本を掲載して高い評価と期待を掲載した。

雑誌『Esquire』 1971年4月号の表紙

だが結果は、興行的に大惨敗。スタジオの重役が、出来上がった“何も起きない”内容を気に入らず、最低限の宣伝活動を絶ったことも影響した。

NYの公開初日、一つの新聞広告も出ていなかった。人々はその映画が公開されていることさえ知らなかった。(モンテ・ヘルマン)

『断絶』コレクターズ・エディション付録ブックレットより

『断絶』は、ヘルマンが以後メジャーで一切映画を撮ることはできなくなったという、いわくつきの作品となってしまう。

やがて、歳月を経て再評価が高まると、『バニシング・ポイント』や『バッドランズ(地獄の逃避行)』らと並ぶ重要作として映画史にその名が刻まれた。

また、ヘルマンのスピリットや作風は、ガス・ヴァン・サント、クエンティン・タランティーノ、アレックス・コックス、ヴィンセント・ギャロといった映像作家たちに多大な影響を与えた。つまり、今では伝説なのだ。

日本公開当時の映画チラシ

(以下、ストーリー含む)
改造されたシェビー(シボレー)を操る二人の若者、ザ・ドライヴァー(ジェームス・テイラー)とザ・メカニック(デニス・ウィルソン)。二人は移動しながら、気まぐれにストリート・レースで金を稼いでは、モーテルに泊まってロードサイドの食堂でハンバーガーを口にする日々を送っている。

ヒッチハイカーのザ・ガール(ローリー・バード)を拾ってハイウェイを飛ばしていると、ポンティアックに乗ったGTO(ウォーレン・オーツ)と遭遇し、互いの車の権利を賭けたワシントンDCまでのレースに合意する。

中年男のGTOは、自分の素性のホラ話ばかりをするか、癖のあるヒッチハイカーを助手席に乗せては悪態をつくかを繰り返す。酒と音楽と快楽があればそれでいいと笑う。

一方、ドライヴァーとメカニックは、気まぐれなガールと寝たり、小銭稼ぎのレースを続けていく。

東を目指す二台の車は、ニュー・メキシコ、オクラホマ、アーカンソー、メンフィスと南部を通過。修理を手伝い、アドヴァイスを与え、時には車さえ交換しながら長距離レースは続行される。

“ここではないどこか”に移動する目的や反抗心もない。ただスピードに取り憑かれて、「アスファルトの二車線道路」を走り続けるだけ。

ガールという愛の幻を失うと、三人の男たちはレースを突如放棄。GTOは消えていく。

残ったドライヴァーとメカニックは、何事もなかったかのように本来のストリート・レースに戻る。クライマックス。音が消え、映画のフィルムが炎上するラストは衝撃的だ。

1955年型シェビーは映画のために3台用意され、うち1台は2年後の1973年の映画『アメリカン・グラフィティ』で塗装されて、再度使われている。

この車に乗ったのは、当時まだ無名だったハリソン・フォード。対する1970年型GTOは、ジョン・デロリアンが開発に携わったことで知られる。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場するデロリアンで有名な人物だ。

『断絶』には、ドアーズの「ムーンライト・ドライヴ」やクリス・クリストファーソンの「ミー・アンド・ボビー・マギー」(ジャニス・ジョプリンの歌唱で有名)などが聞こえるほか、「ヒット・ザ・ロード・ジャック」(レイ・チャールズ)や「キャトル・コール」(エディ・アーノルド)のカバー、ザ・ガールが食堂で口ずさむローリング・ストーンズの「サティスファクション」が印象的。

当時、ジョニ・ミッチェルと付き合っていたジェームス・テイラーは、撮影の移動中に、よく彼女と一緒にライヴをやったそうだ(デニス・ウィルソンもドラムを叩いた)。

時にはホテルで曲作りをすることもあり、この旅の収穫として「ハイウェイ・ソング」(テイラーの『Mud Slide Slim and the Blue Horizon』収録)などが生まれた。

文/中野充浩

参考/『断絶』コレクターズ・エディション付録ブックレット

●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから


この記事を楽しんでいただけましたか?

もしよろしければ、下記よりご支援(投げ銭)お願いします!
あなたのサポートが新しい執筆につながります。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?