オン・ザ・ロード〜ジャック・ケルアック伝説の小説『路上』が教えてくれた一番大切なこと
『オン・ザ・ロード』(ON THE ROAD/2012年)
1951年4月。長い旅を終えたばかりの29歳の作家ジャック・ケルアックは、ニューヨークのアパートの一室にいた。
そして、旅路で綴り続けた手垢と土埃にまみれたメモとしばらく向き合った後、凄まじい勢いでタイプし始めた。
紙をいちいち取り替えていられないので、テープでつないだ。そうして3週間後に出来上がったのは、12万語にも及ぶ自分と友人たちの物語。改行が一切なく、まるで太いサラミのような巻物になった。
小説『路上』(ON THE ROAD)はそれから書き直しされて、6年後の1957年にようやく出版。「ビート・ジェネレーションを代表する文学作品」「ビートニクのバイブル」として脚光を浴びていく。
1960年代カウンターカルチャーのヒッピーたちは言うまでもなく、時が経つにつれて、世界中の愛と反骨精神に溢れた人々にもその名は広まり、今では現代アメリカ屈指の文学作品として知られるようになった。
若き日のボブ・ディランもジム・モリソンもジョン・レノンも、夢中になってページをめくった。有名になる前のブルース・スプリングスティーンやニール・ヤング、映画を撮る前のデニス・ホッパーやジム・ジャームッシュやヴィム・ヴェンダースも、みんな読み耽った。
つまり、『路上』がなければロックの名盤は生まれなかっただろうし、『イージーライダー』や『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『さすらい』も、公開されることはなかった(すべてのロードムービーや旅人のための映画も)。それくらいヒップな文化への貢献度と影響力は高い。
しかし、ケルアックの『路上』を、「ビート」や「カルチャー」といった文脈で捉えてばかりいると本質を見失う。
『路上』に、小難しい理屈も予備知識も一切必要ない。ただ読めばいいのだ。
そこから何を感じ、どんな言葉を拾い、本を閉じた後に心にどんな風景を描くか。それがすべてであり、周辺の情報などに惑わされてはいけない。貪るようにページをめくれる人には、きっと最高に素敵な“体験”になる。
『路上』には、ジャック・ケルアックがサル・パラダイス、ニール・キャサディがディーン・モリアーティ、アレン・ギンズバーグがカーロ・マルクス、ウィリアム・バロウズがオールド・ブル・リーという名になって登場する。ディーン以外は東部出身者か悪態をつくインテリばかりだ。
そんな中でサルにとって、本能に身を任す西部出身のディーンとの出逢いは、彼にとって“風”となり、人生の真実を見出すための“移動”を与えてくれた。
物語は、このサルとディーンを中心とした1947年からの“路上の日々”、そして1950年の“道の終わり”までを、5部構成で描く。
メリールウとカミールという二人の女たちの間を行き来しながら、愛の問題と向き合い、浮浪者となった父親を探すディーン。
サルは、時にはディーンに振り回されながら、ある時はすべてを知ろうとする孤独な旅人となって、デンヴァー、サンフランシスコ、ニューオーリンズ。メキシコなどを、車やバスやヒッチハイクで巡る。
そこには束の間の恋があり、不思議な友情があり、パーティやセックスの快楽、車のスピードやドラッグの興奮、チャーリー・パーカーのビバップ・ジャズ、スリム・ゲイラードやジョージ・シアリングの音楽、ペレス・プラードのマンボの熱狂がある。
そして一つの旅が終わると、サルは必ずニューヨークの叔母の家へと帰っていく。その目で見た風景や触れ合いを、心の中で整理するために。
『路上』が強く教えてくれるのは、「人間のために嘆くようになれ」ということだ。それが、この物語が出版から70年近く経っても色褪せない一番の理由だ。
映画『オン・ザ・ロード』(ON THE ROAD/2012年)は、映画化の権利を1979年に買い取るも、幾度となく企画が頓挫していたフランシス・フォード・コッポラが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』で、若き日のチェ・ゲバラの南米大陸縦断の旅を描いたウォルター・サレス監督にオファー。8年掛かりで完成にこぎつけた。脚本も1951年の第1稿を元にしたというのも泣けてくる。
文/中野充浩
参考/『オン・ザ・ロード』DVD特典
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