絶賛乱世中

私は文学部中国文学科に所属している。
中国文学科と言っても、中国語が話せるわけでも(少し分かる程度)ないし、現代中国の小説なんて読んだことがない。
では何を学んでいるのか。

私の専攻は古典文学である。
所謂漢文。みんなの嫌いな“あれ”である。
今日はその漢文の「詩経」という文学の講義で、
先生がおっしゃっていたことを元に、自分の考えたことを記録する。
混沌とした文章になりそうなので先に謝罪しておく。
この話には面白いオチもなければ感動もない。
私の長い長い独り言である。
こんなものを読ませてしまい申し訳ない。

こんな冒頭を書いていながら、ここから書くことはほとんど漢文に関係がない。漢文の話をつらつらと述べるわけではないので安心してほしい。

講義にて、現代では本音を拡散することができないという話題が出た。
炎上するからである。
フワちゃんのことが真っ先に頭に浮かんだ。
私も好き勝手Twitterをやっているので、
反省しなければならない。

現代人の私たちは、自分の言葉を発するとき、必ず他人の目を気にする。
もはやそれは自分の言葉ではなく、
他人のための言葉であると先生は表現していた。

その通りである。
本音なんてどこに行っても軽々しく口にできない。
どこで誰に伝わるか分からないし、
自分の知らないところで噂が流れるというのは非常に恐ろしい。

ただ、本音を言えない世の中、
嘘の蔓延る世の中で何が起こるか。

そう、私たちは誰のことも信用できなくなる。
他人のことを疑って、受け入れられなくなる。
これを先生は「乱世」と呼んだ。
人間不信は乱世であると。

いま、絶賛乱世中です❕

授業中に、でかい声でこんなことを言ったら、失笑されるし授業が止まってしまうから言わなかったが、心の中で叫んだ。
ノートにも、乱世の横に(今の私)とメモを施しておいた。
このノートを、数年経って見返すことがないと祈りたい。

私は元彼にしつこく迫って自滅したし、
地元の親友は彼氏を同級生の女に取られるし、
大学の親友は何度も彼氏に振られるし、
妹の友達は既婚者の男に「早く嫁と別れればいいのに」とか言っているし、
自分におきた出来事も、周りで起きている出来事も、複雑すぎる。
またそこから派生する他人との関わりの中で、さらにこじれていく。
か細いネックレスが絡まったときのように、もう解くのも諦めたい。

周りの言っていることなんて、
どこまで本当のことか分からない。
なのに私たちは信用したがる。
しかも自分の都合の良い方だけを信用したがる。
妹の友達が不倫している件はどうか嘘であってほしいが、
こういうとんでもない話に限って事実だったりするのだ。
浮世はつらい。

もうここまできたら、誰も何も話さなきゃいいと思う。
話さなければ何も生まれないのだから。
心の内に留めて、ストレスでみんな死んでしまえばいい。
※これは決して本音ではない。

高校生のときも対人関係の悩みはあったが、
こんなにどす黒くてひどく落ち込むようなことではなかった。
なぜならJK(女子高生)の私はとても能天気で、
JKという生き物はそもそもそういう性質で、
周りも自分のようなやつばかりであった。
進学も高等学校国語の教員免許が取れればどこでも良かったし、
友達も仲良くしてくれる子とだけ仲良くしていれば楽しかった。
JKなんて、どうせ推しの話や勉強の話やメイクの話しかしないし、「それな」とか答えれば会話が成立してしまう。
「それな」で会話ができていた治世に戻りたい。
その頃に戻ればだいたいのことはやり直せる。
勉強も恋愛もやり直せる。

この先社会人になって、私の人生はより乱世になることが予測される。
21年間生きてきて、もう統計が出ている。
大人になって知らなくていいことを知れば知るほど、私たちは疑り深くなる。


どうしたら他人を信用できるのか。

もし高校の先生になれたとして、
きっと生徒はchatGPTなんかを使って
課題を片付けるのだろう。
全員ではないかもしれないが。
そこに自分の意見はあるのか。
まあおそらく無いだろう。
課題なんて期日を守ることが大事で、
中身に気を使うほどの余裕なんてない。
では期日を設けなかったらどうだろう。
たぶん提出せずに終わる生徒が出てくる。
というか私なら提出はおろか取り組みもしない。

どうしたら他人を信用できるのか。

それは、自分が信用される人間になるしかない。
言うは易しである。
これを行動に移すことが難しい。
裏切られる勇気と、
裏切られても凹まない強さと、
そもそも裏切らせないという自信とが必要となる。
無理だ!
人を信じるというのは疲れる。
心身共に疲れる。
でも信じなければ乱世は終わらない。

本音が失われている現代で、
どのようにして本音を引き出すか。
あまり駆け引きみたいなことはしたくないな。
自然と、ポロッと、本音をこぼさせたい。
未来の生徒に対しても、
今関わっている全ての人に対しても。
でもやっぱり無理だ、諦めたい。

そうだ、詩経を読めばわかるかな。
詩経は本音で溢れているらしい。
詩経の詩はたまにえぐいのあるからな、
娘の旦那を寝とった〜とか。
いくら本当のことだとしても、
文学にする前に慎んでよと思う。
乱世を終わらせるには、
そういう現代人との価値観のギャップから
埋めていかないといけないってことか。

文学の存在意義は、
魂の成長を促すところにあるらしい。
これはゲーテの言葉らしい。
ゲーテって誰だっけ?って感じだが。

とにかくこの私の乱世を終わらせるために、
たくさんの文学に触れて魂を成長させたい。
治世、戻ってきますように。

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