俺たちは持統天皇のことを知らなすぎた③
前回の続きです。
前回は持統天皇が「内憂外患」で窮地の日本を救うために行った政策は突き詰めれば以下の2つのキーワードに集約されるっていう話でした。
今回は「創業垂統」の内容を明らかにし、持統天皇の超したたかな戦略を紹介します。
戦略その1:日本の「伝統」を明らかにする
唐帝国の脅威から日本を守るために持統天皇がやったことは「軍事力の強化」でもなく「経済の強化」でもありません。
それはなんと「我が国の伝統を明らかにすること」でした。
普通に考えたら
って気がしませんか?w😂
「日本の伝統を明らかにする」とは、この国の成り立ちから現在に至るまでの歴史を紐解いて「いまここにいる自分たちはどこから来て、いったい何者であるのか?」を明確にしたということです。また、その紐解いた歴史の中で「天皇とはどういう存在なのか?歴史の中でどのような位置づけられる存在なのか?」も明確にしました。言うなれば「皇祖証明」ですね。
日本初の歴史書とされる「古事記」と「日本書紀」はこのときに作られたものですが、古事記と日本書紀は想定読者が異なります。「古事記」は国内向け、すなわち自国民が想定読者です。一方「日本書紀」は海外向け、すなわち中国の為政者が想定読者です。
両書物が書かれた目的を端的に書くと、以下のような感じでしょうか🤔
自国の伝統を明らかにすることで自国民の一致団結を促しつつ自分たち天皇(皇室)の正当性も明らかにし、天皇を中心とした中央集権国家づくりを加速させる、さらにこれを外交戦略のカードとして使ったわけです。
すごくないですか?うののさららさん!
戦略その2:儒教文化を逆手にとった改名
続いて改名の話です。
これまで普通に「天皇」とか「日本」という言葉を使ってきましたが、実は持統天皇が即位していた時点ではこれらの名称はまだ使われていません。当時は「天皇」ではなく「大王(おおきみ/おおぎみ)」、「日本」ではなく「倭(やまと)」という名称でした。
「倭(やまと)」国は3世紀頃に誕生したことを考えれば「倭」「大王」は300年以上使われてきた表現です。それをわざわざ変えようなんて、よほどの理由が無いとやらないでしょう。
それでも断行したのは
でした。
「名前ひとつでそんなことができるんかいな?」って思いますよね。できるんです。
「天皇」への改名が持つ意味
中国(唐)は儒教の国です。
といっても儒教はキリスト教やイスラム教のような宗教とは言いづらい側面が多いため「中国の宗教は儒教です!」と言うと若干語弊があるのですが、とにかく漢代以降の中国では儒教は「政治システム」としてガッチリ組み込まれており、その際たるものが「皇帝」という存在です。
中国は秦の始皇帝が中華統一を果たして以来ずっと、1人の為政者(=皇帝)が絶対的な権力を持つ社会です。古代ギリシャやローマのような議会民主制でもなく、日本の鎌倉のような封建制でもありません。皇帝が唯一絶対の権力者として君臨します。
そもそも、なぜ中国で皇帝には絶対的な権力が与えられているのでしょうか?その権力の根拠こそが儒教に由来しています。
儒教の根源にあるのは「北極星信仰」です。夜空に瞬く無数の星々が一切の衝突や混乱を起こすことなく、常に秩序を保って規則正しく動いているのはなぜか?それは中心にある北極星がいるからだと考え、この北極星を中心とした宇宙の秩序を地上に下ろすのが儒教の世界観です。そうなると地上には北極星の化身が必要となりますよね。それが皇帝です。
儒教では宇宙のことを「天」と呼び、北極星のことを「天帝」とか「皇天大帝」と呼んだりします。そして地上を秩序を取り戻すため天帝が遣わせた人間こそが「皇帝」であるとされています。なので皇帝は「天の子」ってことになります。古代中国を題材にしたドラマや漫画で「皇帝」のことを「天子さま」と呼ぶのはそういう意味です。
さて、この中国の儒教文化に目をつけたのが我らが持統天皇です。
なんと持統天皇は自国のトップリーダーの名称を「天皇」という表現に変えることで
というメッセージを暗に示したわけです。
※「暗に」というのがポイントです。ダイレクトに「いや~ウチのトップの方がそちらのトップよりぶっちゃけ上ですよね?」なんて言ったらメンツ丸つぶれですからねw
図にするとこんな感じです👇
と思った方もいるかもしれませんが、それはその通りです。まぁ、言ったモン勝ちですよね。相手が無視すればそれまでのこと。
「天皇と皇帝のどちらが上か」というのは重要ではありません。「天皇」という命名の本質は「相手に思想哲学的な深さを知らしめること」にあります。
乱暴に言えば「教養でマウントを取りにいった」わけですね。
国のトップリーダーの名称を「天皇」にするということが何を意味するのか?そもそも儒教に精通していないとそこに気づけません。儒教は中国発祥であり国教でもあります。そんな儒教の本場が、辺境の後進国だと思っていた国からこんな一撃をもらうなんて、さぞビックリしたことでしょう。
要するに「大王→天皇」という名称変更に込めた持統天皇のメッセージは
です。
「日本」に改名した意味
しかし、思想哲学的な勝負をしていくのにずっと相手の土俵(=儒教)で戦うのは賢い選択とは言えません。なんせ相手は儒教の本場、発祥の地ですから、どうしてもオリジナルにしか出せない深みや凄みで差が付くものです。
そこで、自分たちが常に優位性を発揮できる、国の背骨となる思想哲学を擁立する必要があります。聖徳太子パイセンはここで「仏教」を持ってきたというのは以前紹介した通りです。当時の仏教は日本にとっても中国(隋)にとっても新しい思想哲学であり「同じ仏教を学ぶ仲間という点で、日本と中国はどちらが上とかないですよね?」というのが、仏教のチカラで隋との関係性を対等に持っていった太子パイセンの作戦でした。
では持統天皇はホームグラウンドに何を持ってきたか。それが「神道」です。ここで太子パイセンと同じ「仏教」を選ばなかったのがスゴイところです。
儒教は北極星信仰でした。神道は太陽信仰です。なぜ神道は太陽信仰なのか?これには色んな説がありますが、北極星信仰に対して陰陽のバランスをとった結果と考えることもできるのではないでしょうか。
そして、我が国は太陽神である天照大神に連なる、神代の時代から伝統が続く国であることを明確にするため、国の名前を「倭」から「日本(日ノ本)」に変えたわけです。
なぜ日本は「日本」という名前なのか?
それは、誰が見ても明確に「ウチは太陽信仰の国だよ」と分かるようにするためです。「天皇」っていう北極星信仰を匂わせるトップが治めているけども、国としての思想哲学的なバックボーンはあくまで太陽信仰だよと、それを対外的に打ち出すために国の名前は「日ノ本国」にしなくてはならなかったのです。
すごくないですか?うののさららさん!
先代から引き継いで天皇に就き、内憂外患の国をリニューアルして立て直すためにこうやって「伝統」を垂れたわけです。これが持統天皇の「創業垂統」です。
まとめ:ソフトウェアで勝負せよ
ここまで持統天皇が実践した「創業垂統」を紹介してきました。
「伝統を明らかにすること」がいかに「国を守ること」につながるのか。
そして、小国の日本が大国の中国と対等に渡り合うには、いかに思想哲学的な勝負に持ち込むかが重要であるか。
持統天皇の戦略を通じて、そのエッセンスが少しでも伝われば幸いです。
聖徳太子パイセンもそうですが、持統天皇の戦略のポイントは「ハードウェア」での勝負を避け「ソフトウェア」で勝負するところにあります。
現代の日本の政治家は何でもかんでも「ハードウェア」で問題を解決しようとしている気がします。出生率が低いとなれば「お金」や「施設」をバラまき、エネルギーが足りないとなれば「インフラ」を増やし、防衛問題が浮上すれば「ミサイル」や「戦車」を増やし・・・。もちろんこういったハードウェア(物質資源)も大事ですが、もっとソフトウェア(精神資源)で勝負する土俵を増やさないと、日本がこの先世界と戦っていくのは厳しいような気がします。
次回は最終回(の予定)。「継体守文」です。掘り起こした伝統を後世にどう引き継ぐのか。です。
おまけ
もし持統天皇が日本の思想哲学のバックボーンに擁立したのが「神道」ではなかったら?例えばタイやスリランカと同じ「仏教」を選んでいたら、今頃どうなっていたでしょうね?それはそれで悪い結果にはならなかったかもしれませんが、現在の日本のような唯一無二の思想哲学に溢れた国にはならなかっただろうとは思います。それほど神道が日本に与えた影響は大きく、神道を日本の伝統のド真ん中に据えてくれたうののさららマジ感謝って感じです。このあたりの話は機会があればまたどこかで紹介します。
つづく。