「夢」と「志」の違いを知ると人生が変わる
こんばんは🌙
突然ですが、皆さんの「夢」って何ですか?
子供の頃は
とか親に聞かれて
と、自分の夢をキラキラの目で表明したことが私にもあったかもしれません😌(あんま覚えてないけど・・・)
すっかり大人(オッサン)になった今となっては、
とか思ってたりするのですが、皆さんの「夢」はいかがでしょうか?
と、自分の「夢」を追い掛けている人がたくさんいるんじゃないかと思います。
中には
と、現実に押しつぶされて「夢」を追い掛けることを諦めてしまった人もいるかもしれませんが、それでも「夢」を持つことがどれほど私たちの人生に良い影響を与えるかは、おそらく多くの人が感覚的に知っているのではないでしょうか。
「夢」をもつことの大切さは色んなところで謳われている👇
それを踏まえた上で、一つ提案があります。
「志」も 持ってみませんか?
「夢」と「志」は何が違うの?
いきなり「志(ココロザシ)」と言われてもピンと来ないかもしれません。あまり日常的に使わない言葉ですし。ちょっと大げさな感じがすらしますよね。
「夢」と「志」ってどちらも
みたいなイメージであまり区別なく捉えている人が多いんじゃないかと思います。
私は以下のように区別しています。
ようは「夢」って対象が「個人(自分)」なんですね。
・(私は)、xxxになりたい
・(私は)、xxxにいきたい
・(私は)、xxxをやってみたい
みたいな感じで。
一方「志」って対象が「他者(社会)」なんですね。
・(社会から)、貧困をなくしたい、差別をなくしたい
・(社会を)、誰もが自由に表現できるようにしたい
・(社会に)、笑顔を絶やさないようにしたい
みたいな感じで。
あ、誤解されないよう先に断っておきますが
私は決して
と、「志の方が夢よりも偉い」とか「夢を追いかけている人はレベルが低い」とか、そういう馬鹿げた主張をしたいわけでは断じてありません。
「夢」を抱き、その実現を追い掛けることは、それだけで人生に潤いが出るし、楽しいしワクワクすることです。それを否定される謂われはありませんし間違ってます。「夢をもって何が悪いんだバカヤロー!」です。
いっぽうで「夢」と「志」の違いを意識することには大きな意義も感じています。
それはなぜかというと「夢」を持つことで得られる人生のプラス影響と、「志」を持つことによる人生のプラス影響は別だからです。
ようするに
「夢」だけでなく「志」も持ってた方が、人生はさらに楽しく充実するんじゃないかな!
ってことを言いたいのです。
とはいえ、「志」を持つことでどんなプラス影響があるのか、まだピンと来ないと思うので、ここから「志」を持つことの良さを2つ紹介します。
「夢」と「志」の違い①仲間との関係性
「夢」と「志」の大きな違いの一つに「仲間との関係性」があります。
「夢の下に集まった仲間」と「志の下に集まった仲間」とでは、前者より後者の方が関係性がはるかに強固です。
たとえば、あなたが中学生や高校生だったとして、同級生の友人がこんな「夢」を語るのを聞いたとしましょう。
きっとあなたは友人として心から「応援」しますよね。
でも「応援」はあくまで「応援」です。友人の「日本一のアイドルになる」という夢が少しでも現実に近づけるように、ライブに行ったり、グッズを買ったり、SNSで拡散したりといった貢献はできるでしょう。しかし、本人がプロのレッスンを受けるお金、事務所の賃料、衣装代、ライブ会場の代金まではさすがに払えないと思います。なぜならあなた自身にも「夢」があるから。例えば「いつか海外留学してみたい」とか「穏やかで幸せな家庭を築きたい」という「夢」があなたにもあるはずで、いくら大切な友人であっても自分の「夢」を犠牲にしてまで応援するのには限度があります。「あなたの夢なんだから、ここから先は自分で頑張ってね」という境界線が必ず来ます。
一方「志の下に集まった仲間」はどうでしょうか。
あなたが中学生や高校生だったとして、同級生の友人がこんな「志」を語るのを聞いたとしましょう。
と。
もしこのセリフに
という続きがあったら、さっきのアイドルと同じ流れです。志を実現する手段として「自衛隊に入ること」が本人の「夢」になったので「がんばって!応援するよ!」で終わりです。
そうではなく、もし
と語ったとしたらどうでしょう。それをどうやって実現するつもりなのか、それがどれほど大変なことかは分からないけど、もし本当にそれが実現できたら多くの人が救われることだろう。
そして、もしあなた自身もその友人と同じく、過去に災害で愛する家族を失う辛い経験をしていたらどうでしょう。
もしかしたら
と思うかもしれません。(いやもちろん全員が全員ではないでしょうけど)。
でも友人が語った「志」を、あなた自身の「志」にもすることできます。つまり「伝播」させることができる。これが「志」です。
「友人の夢を応援する」のと「友人と志を同じくする」では、人間関係の質が違うのは容易に想像ができるのではないでしょうか。
「志」を現実のものにするには、ありとあらゆる困難が待ち構えています。しかし「志」を同じくしているからこそ、「応援する」の関係性からは生まれない、困難を共に乗り越えようとする強さが生まれます。
だから「志を共にする友人」のことを「同志」と呼ぶわけです。
「同志」という言葉は、どうしても赤色(共産主義)の香りがつきまとうので忌避されがちですが、私はとても力強く素敵な関係性を表す言葉だと思います。
スタートアップやベンチャー企業の創業メンバーは、こういった「志」で繋がった同志でないと成功しないと言われています。
明治維新を成し遂げた当時20代~30代の若者達もまさに「同志」ですね。
「志」を持つことの良さの1つ目は「同志」ができることです。
「夢」と「志」の違い②時間軸
「夢」と「志」の大きな違いの2つ目は「時間軸」です。
「影響が及ぶ範囲」と置き換えてよいかもしれません。
「夢」は個人を対象としているため、時間軸は「本人の寿命」に依存します。
先ほどの例で言えば「日本一のアイドルになる」という「夢」を抱いた友人が、その夢を実現しないまま亡くなったとしましょう。その後、別の誰かが「日本一のアイドル」になったからといって、それは亡くなった友人が夢を叶えたことにはなりませんよね(当たり前ですが)。
実現しなかった「夢」は、その人の死をもって消滅するわけです。
ところが「志」は違います。
「志」は、それを抱いた誰かが実現できないまま死んだとしても、その「志」が他の人に受け継がれることがあります。
たとえば、明治維新の前夜、日本を西欧諸国の植民地支配から守るという「志」を立てた吉田松陰や橋本左内は若くして命を落としましたが、彼らの「志」を受け継いだ維新志士の尽力により日本は植民地支配から逃れることができました。
いまアニメで放映中の「チ。-地球の運動について-」も、まさに「志」が時代を超えて脈々と受け継がれていく様を描いた物語です。
「志」を持つことの良さの2つ目は、「志」が後世に受け継がれていくことで、自分の存在(≒自分がやってきたこと)を肯定できるということです。
「後継者を育てる」というのは「志を引き継いでもらう」ということですから。
まとめ
「夢」と「志」は人生を豊かにするための「両輪」ではないでしょうか。
「夢」を追うと、人生に潤いが出ます。「志」を追うと、自分が生きた証を残せます。
「夢」と「志」の二刀流で!
おまけ
あくまで私が観測している範囲の話ですが、、、
という人の方が圧倒的に多い気がします。
これは私の仮説ですが、「志の作り方」、いや「志の立て方」にはちゃんと方法論があるように思います。
「志の立て方」の詳細は次回以降につづく。