ふしぎな「易」のはなし③
引き続きふしぎな「易」のはなしシリーズです。
「易」のスゴさがなんとなくわかりそうなトピックとして、今回は「易」の成立について紹介しようと思います。
易の成り立ちがハンパないはなし
ここでいう「易」とは「易経」です。
つまり「易の成り立ち」とは「易経の成り立ち」を指します。
前々回のポストでもちょっと紹介しましたが、そもそも「易経」は儒教の経典の1つです。四書五経と呼ばれる儒教の経典の中で最も歴史が古く、中に書かれていることが儒教全体の精神を通底する内容であることから「易経は儒教の筆頭経典である」と言われています。
といっても、現代の日本で「儒教」と聞いて
「なんだっけ、韓国の伝統宗教だっけ?」
「上下関係にめっちゃうるさいやつでしょ」
というぐらいの認識の人が多いと思うので「儒教の筆頭経典」と言われてもピンと来ないと思いますが😅
儒教は私たち日本人には無意識のレベルで溶け込んでるので気づかないだけですが、ものすごい影響を受けてます。
そんな儒教の筆頭経典である「易経」の成立がスゴイんです。
何がスゴイって、作った作者がスゴイんです。
3人のレジェンド級人物が作成に携わってます。
いったい誰が「易経」を作ったのか?
まず一人目はこの人です。👇👇👇
名前を伏義(ふくぎ、ふっぎ)さんといいます。
見ての通り上半身が人間で、下半身が蛇です。
魔物かな?
ちなみに、伏義さんの隣にも同じく上半身が人間で下半身が蛇の女性がいますが、この人は「女禍(じょか)」さんと言います。(伏義と女媧は兄妹)
キリスト教圏でいうところのアダムとイブ的なポジションですかね。
(実際、二人は結婚して人類の始祖となったという伝説もありますが、ここでは深入りしません)
この伏義さんが、世界のありさまをつぶさに観察し、それを象徴化して抽出したのが「八卦」と呼ばれる易の基本パーツとなるものです。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」のあの「八卦」です。
相撲を取る時の合図「はっけよ~い」の「はっけ」でもあります。
古代ギリシャでは、世界は4つの要素(火・風・水・土)から成ると考えられていました。
古代中国でも、五行説といって世界は5つの要素(火・水・木・金・土)から成ると考えた人もいます。
伏義さんは、世界は8つの要素から成ると考えたわけですね。(五行説は後に陰陽説と結びついて陰陽五行説という形で日本にもやってきます)
でも、さすがにこの世界の森羅万象を8つの要素で表現するのが難しいと思ったのか、後に八卦を2つ重ね合わせて8x8=64 つまり六十四の卦でもってこの世界を表現しようとしました。「易経」には六十四の卦が列挙されているわけです。
伏義さんの成果はいったんここまで。
次にこの六十四卦それぞれに解説文を加えた人が出てきます。それが文王です。
封神演義 ©集英社/藤崎竜
「文王」って誰?
古代中国にあった殷という国を滅ぼして、周という国を建てた革命者、今風にいうと社会的イノベーターです。
そもそも殷っていつの話やねん、という話ですが、殷が滅んだのが紀元前10世紀頃です。漫画キングダムの舞台である春秋戦国時代は紀元前700年頃の話ですから、キングダムの舞台よりも数百年前の話です。(その頃日本は縄文時代)
文王がまだ殷を滅ぼす前、仕えていた殷の王さま(紂王)の怒りを買って捕らえられ幽閉されている間に、伏義さんがまとめた六十四卦すべてに「解説文」を付け加えたわけです。
例えば
地(☷)の卦と天(☰)の卦を重ねた地天泰という卦の解説文として、文王は次のように残しています。
(礼節が行われゆったりと落ちついて、その後に初めて安らかになる。だから、履の卦の次には泰の卦が置かれている。泰とは、物事がすらすらと通じて停滞することがないということだ)
見て分かる通り、占い結果の解説ですよね。おみくじの解説文みたいなもんです。「待ち人来たる」的な。
厳密に言うと、
六十四卦それぞれに存在する6本のパーツそれぞれにも、全体とは別の解説文があります。細かっ!64x6=368個。
細かい方の解説文を残したのは、文王の息子である周公と言われていますが、いずれにせよ文王ファミリーが六十四卦の解説文を残したわけです。
もうこの時点で、占いの書としての易経は成立したと言えます。
なぜなら、占いによって六十四卦のうちどれかが出て、それをどう解釈すればいいか、まで整備されたわけですから。
ちなみに、伏義・女媧も文王ファミリーも、昔週刊少年ジャンプで連載されていた「封神演義」に出てきます。文王は👆に載せた通りです。
封神演義 ©集英社/藤崎竜
そして最後を締めくくるのが、レジェンド・オブ・儒教。世界三大聖人の一人、孔子です。
易経をたんに「占いの書」で終わらせず、深遠なる「思想哲学の書」に高めた立役者が孔子です。
孔子は何を書いたのか?
それは、易経全体の解説書です。
最近「ドラッカーの解説本」や「古事記の解説本」など、古典や名著の解説本がブームになっていますが、孔子レベルにもなるとただの解説本に留まらず、原典の世界観をさらに拡張したわけです。
孔子が著した解説書群は十冊あり、「十翼」と呼ばれています。
例えば繋辞伝には、各卦の背景にある考え方について師匠と弟子の問答という形で解説されています。抽象的な表現が多い易の表現について具体例を交えて解説しているのですが、そこに孔子ならではの儒家思想精神がたっぷり込められて表現されています。
易経は、この「十翼」によって、文字通り「占いの書」から「思想哲学の書」へと飛躍したと言っても過言ではありません。
以上のように、伏義、文王、孔子と、古代中国では神話レベルのレジェンド3人によって完成されたのが「易経」なのです。
古代中国に生まれた古典には色んなものがありますが、易経が他とは別格の扱いを受けている理由の一端が少しわかる気がしませんか?
と、言っておきながら
「易経」は伏義、文王、孔子のレジェンド3名によって作成された。
と言いましたが
実は、これは「史実」ではないようです😅
多くの歴史学者から、これは史実ではないという指摘が出ています。
ただ、この場合「史実」はあまり重要ではありません。
重要なのは「易はそういうものであると認識されている」という事実です。
「易経」が古代から現代にいたってもなお、数千年に渡ってレジェンド級の書物として別格の扱いを受けているという「事実」こそが重要だと思うのです。
最後に、
ユングに「易」を伝えたドイツ人宣教師ヴィルヘルムが残した言葉を紹介します。
「易はふつうの占いの書の域を超える。ある占い者がトランプを見て、依頼者に、一週間以内にアメリカから金を同封した手紙が来るといったとしよう。依頼人としてはその手紙が来るまで───来ないかも知れぬが───待つほかはない。
この場合、予言は定命であり、人のすべきこと、すべからざることとかかわらない。だから占いは道徳的意味を欠く。中国で始めて、ある人が、未来を占ってもらって、事をそのままにすませずに、それなら私は何をすべきか、と問い返したとき、占いの書物は智慧の書物とならねばならなかった」