西洋思想と東洋思想を比較した②
前回からだいぶ時間が空いてしまいました🙄
「オンラインイベントで東洋思想の話をしてきた件」の続きです。
イベントの概要はこんな感じでした↓
●持ち時間:10分 (質疑応答は別)
●テーマ:自由 (自分が興味のあることについて好きなように語る)
●形式:オンライン (Zoom)
●参加者:主に20代~30代のビジネスパーソン
●想定視聴者数:アクティブメンバーを考えると5~6名と予想
で、色々と考えあぐねた結果、今回は以下の3点に絞って『対比』という形で話すことにしたのでした。
1) 主客分離の西洋 / 主客非分離の東洋
2) 部分で捉える西洋 / 全体で捉える東洋
3) 二元論の西洋 / 陰陽論の東洋
この3点について、当日どのようにトークしたのかというはなしです。
1) 主客分離と非分離のはなし
「主客」とは「主体/客体」とか「主観/客観」というように2つセットで使われる言葉ですが、端的に表現するなら「主=自」「客=他」と置き換えることができます。
西洋は「主」と「客」を明確に分けます。
自分という「主体」から見て、この世界のあらゆるものを「客体」として捉えます。言い換えれば自分以外のすべてのものは「何らかの対象物」になります。
たとえば「契約」の対象だったり「管理」の対象だったり。
一方、東洋は「主」と「客」を明確に分けません。
例えば仏教や禅では「自分」という固定的な「主体」は想定しませんし、老荘思想は「自分」と「世界」を区別したりせず、大きな一つのものとして世界を捉えます。
2) 部分で捉える/全体で捉えるのはなし
「何か知りたい!」と思ったとき、それを「部分」で捉えるのか、はたまた「全体」で捉えるかという差があるよってはなしです。
西洋において「知性」とはすなわち「分ける」ことです。「分ける」とは細かく「分解する」ということです。
例えば「水」とは一体なにか?と思ったら、それがどんなもの(構成要素)から成り立っているのかを徹底的に調べていきます。
「水」であれば、水は水分子(H2O)から構成されていることがわかります。で、水分子は水原子(H)と酸素原子(O)から構成されていることがわかり、原子は電子と原子核から構成されていることがわかり、原子核は陽子と中性子から構成されていることがわかり、さらに陽子と中性子は素粒子(クォーク)から構成されていることがわかり…というところまで来ています。
なので現代の物理学では「素粒子は何から出来ているか?」の研究がされています。ニュートリノとかカミオカンデとかヒッグス粒子とかそういうヤツです。
この考え方は、裏を返せば「対象を構成する要素が判明しさえすれば、オリジナルは把握できたも同然!下位の構成要素でオリジナルは再現できるね!」ということです。
いわゆる「要素還元主義」というやつですが、近代以降の科学技術の目覚ましい発展を支えたのがこの「要素還元主義」です。
現代のビジネスでも「ロジックツリー」や「MECE」など、ロジカルシンキングの基本になるぐらい、もはや世界中で常識となっている考え方です。
余談ですが「要素還元主義」は「産業革命」の下地にもなってます。
「産業革命」って要するに「人間の手作業」を分解してみたら、機械の組み合わせに分解できたっていう話です。でも機械を買うより人間に機械の代替をさせた方がコスパがいいっていう理由で我々の労働力が買われてるのが21世紀の今でも続く資本主義の現状です。
そういう意味では「人間」と「機械」をコスパという天秤で計るきっかけを作ったのが「要素還元主義」とも言えます。(機械論的世界観)
一方、東洋は「分けません」。対象をそのまま、ありのままで捉えます。
東洋の「分けなさっぷり」を日常生活で意識する機会はなかなか無いのですが、分かりやすい例が医療です。西洋医学では身体の病気は内科や外科、精神の病気は精神科と別れますし、外科も脳外科、循環器科、呼吸器科、小児科、産婦人科といったように領域ごとにバラバラです。一方、東洋医学にはそういった領域分けはありません。心身含めた全体を捉えて治療にあたります。
3) 二元論の西洋 / 陰陽論の東洋
西洋は二元論です。
二元論とは要するに「シロクロはっきりさせないと気が済まない」ってことです。「気が済まない」…っていうか、話にならないという感じでしょうか。
聖書では天地創造という世界のプロローグのところで、神様が「光あれ」とか言って、のっけから「光」と「闇」を分けちゃっていますし、西洋社会で二元論はもう常識とかそういうレベルじゃなく刷り込まれている世界観だと思います。「要素還元主義」も二元論が下地にあります。
一方、東洋には二元論はありません。
スライドでは説明しやすい儒教の陰陽論を取り上げましたが、禅が説く「不二性」や老荘思想の「大局的視点」など、東洋の思想には一貫して「二元論」的な考え方は見られません。
参加者の感想
他にもいくつかスライドはあったんですが、10分くらいでこういった話をバーっとした後、参加者から頂いたコメントをいくつか紹介します。
・「二元論」の対比は実感する。西洋人と仕事する時は常にシロクロはっきりさせながらじゃないと先に進まないが、日本人同士だとシロクロつけなくても進む。どちらにも良い面・悪い面があるが。
・ヨガでは「世界」と「自分」の境界がなくなる感覚はとても重要とされているので、主客非分離の話はよくわかる。
・「東洋思想」で自分が最もしっくりくる考え方は「自然(じねん)」だったが、他にも色々あるのがわかった。
おまけ
当日は私の「東洋思想」だけでなく「西洋哲学」をテーマにトークされていた方もいて、その方も「西洋哲学」と「東洋哲学」を対比する形で西洋哲学を説明されていましたが、やはり「東洋哲学=仏教」という認識の元で東洋哲学を説明されていました。もちろん仏教は間違いなく東洋哲学の一部ですが、一口に仏教と言ってもインドの仏教と日本の仏教は全然違いますし、儒教・道教(老荘思想)、神道は仏教とは考え方が全く異なります。私たち日本人には仏教だけでなく儒教・道教・神道の思想も根付いていて、むしろ私たち価値観や考え方に大きな影響を与えているのは仏教よりも儒教や神道ですらあるのに、当の日本人ですら「東洋哲学といえば仏教」という図式が広く浸透してしまっている感じがするのはなんだか寂しいところ…🤔
これには色んな理由が考えられそうなので、その辺りは別記事で書こうと思います。
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