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日本三大秘境 椎葉村 道教ツアー 前篇
1.日本三大秘境・椎葉村
日本三大秘境という誰がセグメントして名付けたのか分からない定義ですけれども、それが岐阜県の白川郷、徳島県の祖谷(いや)、そして今回訪問した、我らが宮崎県の椎葉村なのであります。
人口は2,299人(2023年9月1日時点・推計)ですが、その面積は東京23区を合わせたよりも広く全国第5位です。その一方で、村の北西部にある国見岳をはじめ、村全体が標高1000mから1700m級の山々に囲まれており、こんなに広いのにも関わらず、可住地面積はわずか4%というまさに秘境。
今回は、ひょんなことから椎葉村を探訪することになったのですが、その経緯をご紹介していきたいと思います。
2023年9月4日に、椎葉村で地域起こし協力隊として活動していた小宮山 剛さん(現在は椎葉村職員)が、ぼくが博多で経営するバー、TAOに遊びに来てくれました。
そのきっかけは、或る夜、ぼくがよく行く新宿のゴールデン街にあるバー、Hekateのママから
「林田、九州に面白い子がいるから繋がってよ」
と連絡があったんですね。聞くと、小宮山くんという若者で、宮崎県の椎葉村で地域起こし協力隊をしているのだというんです。
もうね、恐ろしいですね。
東京の人は。
椎葉村から来た小宮山くんに、あなた九州なら林田と繋がりなさい、とアドバイスする。ぼくの活動拠点は福岡市ですから、椎葉村まではおよそ200kmの道のりです。
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東京を起点に考えると静岡市がちょうど200kmくらいなので、このくらいの距離感です。
いや、広いよ。
遠いよ。
でも東京の人はそうは思わないんですね。新幹線があるから。え?静岡まで?1時間もあれば行けるじゃん?となるんです。いや、実際は我々もその感覚は見習って、九州の民も一つになって頑張らねばならないとは思います。
2.道教ツアーはなぜ企画されたか?
とにかく、そんな縁もあってとにかくFacebookだけは繋がっていたのですが、まぁ、なんということでしょう。小宮山くんがTAOを訪れてきてくれたのです。
ちょうどそのとき、TAOでは東洋哲学ゼミが開催されていました。
ちなみに、もはや10年続いている東洋哲学ゼミ。最初は論語を学んでいたのですが、その辺りのご縁もあって日本で一番ゆるい論語の本も出版させていただきました。現在は『荘子』を学んでいます(ちなみに次回は11月6日(月)19:30からTAOにて)。
そんな小宮山くんがTAOに入ってきて椎葉村からやって来たことを告げると、一番に反応したのは市井の老荘の大家、(チノアソビ本編でもお馴染み)小西老師でした。
「えっ!?椎葉村?もはや道教(老荘思想)の実践の場ではないですか!」
しかも、小西老師は自身が宮崎県出身ということもあり、なんと小宮山くんのことをX(Twitter)でずっとフォローしていたのです。
なんという偶然。このシンクロニシティーを目の当たりにして、ぼくは突然に、偶然を装った必然的に、完全に垂涎の魅力に取り憑かれている小西老師と椎葉村に行くしかないと思い立ちました。そして、その場で10月22日から23日にかけていくよ、と宣言したのでした(ちなみに、ぼくの両隣に座っていたという縁だけで東洋哲学ゼミのメンバー、中野さん、力丸さんも巻き込まれていたのでした)。
ぼくらが旅に出る理由。それは道教。
ぽくねーっ。オザケンっぽくねー!
恋人に愛を届ける旅ではない、オッサン4人の道教旅。
いや、まさにそれが老荘思想なのです。
3.そしてぼくらは旅に出た
時は残酷に過ぎ行き、あっという間に10月22日はやって来ました。そうしてぼくらは旅に出たわけです。
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高速で3時間の道のり。そんなに遠くないッ!(すでにバグっている)。
午前中の遅い時間に二日市駅前に集合して出発、どこかでお昼でも食べたら夕方には椎葉村に入れるねっ、ということをぼくからは強く提案したのですが、同行者の中野くんに反対されたのでした。
中野くんはデザイナーで曲がったことが大嫌い。整っていないとなんとなく気持ちが悪い性質で、どちらかというとエントロピーを増大させ続ける林田の尻拭いをずっとしている方です。夜の疾風という二つ名を持ち、とにかく行くのは早い方がいい、という心情の中野くんは、
「不安だから10時集合にしましょうー」
と佐賀の武雄弁で主張してくるのでした。午前中の遅い時間で良いって言っとるだろうがー!、とややカチンと来たのですが、ぼくは持ち前のファシリテーション能力を無駄に活かして
「では、間(何の?)を取って10時半にしましょう」
と再提案して決着したのでした。
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午前9:45分。まだベッドの上でスヤスヤと眠っているぼくの携帯がなりました。名前を見ると、夜の疾風、中野くん。
「林田さん、起きてますかー!!」
耳元で騒ぐ中野くんを尻目に、ぼくは、大丈夫、大丈夫、と2回呟いて、ソッと電話を切りました。
しばらくたって、あれー、そういえば、今日から椎葉村だったな、ハッと我に帰り(ビビって)時計を見たら午前10時を回ろうかとしているところでした。ダッシュでシャワーを浴びて、タクシーを呼びつつ服を着替えて家を飛び出したのでした。
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13分!
なんだか、そんなタイトルの映画があったような記憶もあります。
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10時に起きたのに、博多から移動して二日市駅に予定の10時半を大幅に遅れることなく10:43に到着した自分を褒めてあげたい、ぼくはすでに集まって10分強を無為に過ごした仲間に向かって、オリンピックでメダルを取ったマラソン選手のように力強く宣言しました。
一同は、ぼくの奇跡の移動といっても良い、もはや朝の疾風、林田と名乗っても良さそうな血の滲む努力を全く認める気配もなく、まぁ10分だから許せる、とか、なぜ旅の前夜に四時まで飲んでいるのか、とか、ふざけんな、とか好き放題、ブー垂れていたのでした。
ブー垂れながらも車は順調に九州自動車道を進み、山都インターを降りた頃、時計は12:30を刺そうとしていました。この辺りには、2023年、まさに今年、国宝に指定された通潤橋があります。
「通潤橋まで行けば、何か食堂のようなものがあるだろう」
と、さして当てがあるわけでもなく、また期待もせずにぼくたちは通潤橋を目指しました。しかし通潤橋についてお昼を取ろうとしたまさにその時、通潤橋がその口を開いたのでした。
動画もあるのですが、埋め込みがめんどくさいので、上記ホームページから雰囲気をお楽しみください。
このとき、ブー垂れていた中野くんを始めとして小西老師、力丸さんの三人の同行者は、
「林田さんが遅刻しなければ、この風景を見ることはできなかった!」
と口々にぼくを讃えたのでした。うむ。苦しゅうないぞよ。
これぞ、まさに「人間、万事塞翁が馬」。
塞翁が馬の逸話は、淮南子(えなんじ)という書物に記されています。この淮南子は、漢代に創作されたもので道家思想(道教)を中心に儒家・法家・陰陽家の思想を交えて書かれた随筆と言って良いでしょう。
これによると、その昔、中国の北方の要塞を守っている一人の老人がいました(塞翁<さいおう>)。きっと、モンゴル系騎馬民族への備えでしょう。ある日、この老人が野生の馬を捉えてきました。実に足が早く体力もあり、千里は駆けようかという名馬でした。人々は皆、老人のことを羨ましがりましたが、この老人は、
「これがどんな不幸を招くか、わかったものではない」
と喜びませんでした。しばらくすると、老人の子がこの馬に乗っている時に落馬して足の骨を折る怪我をしてしまいました。人々は、嗚呼、やはり老人の言ったとおり、不幸が起こったなぁと嘆きましたが、老人は
「これがどんな幸運を招くか、わかったものではない」
と言って悲しみませんでした。そのうちに北から騎馬民族が国境を犯して、若者の多くは戦に駆り出され命を落としましたが、老人の子は怪我をしていたため兵役を逃れて命が助かったということです。
このように、幸運と思われることが不幸になり、不幸と思われたことが期せずして幸運に転ずるかもしれない、という教えが塞翁が馬の意味するところです。
為すがままに天命に従う。
レットイットビー。
これぞ、老荘思想。
これぞ、道教なのです。
たかだか13分遅れたくらいでガタガタ抜かすんじゃねぇってことです。
こうして、ぼくのお陰で通潤橋の放水を目にすることができた幸運な一同は旅を進めるのでした。
4.五ヶ瀬町の妙見神水
次にぼくたちが向かったのは椎葉村の隣町、宮崎県五ヶ瀬町にある妙見神水です。
妙見信仰とは、もともとインドで発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、日本に伝来したものです。
小西老師が、厳かに、そしてしみじみと、
「我々、老荘思想を学ぶものとしては、妙見神水は避けては通れない」
と我々に告げたのを見て、ぼくたちはもう、何が何だかよく分からないけど、行くっきゃない、という気分になったのでした。
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まったく知られざる観光スポットですが、超推しスポットです。
水も綺麗ですが、景色も綺麗。
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清和天皇の時代から4億年前の水が流れ出しているということで、ご利益もありまくりそうです。
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熊本から水を汲みに来られている方もいらっしゃいました。この本数だと10リットルくらいでしょうか。知られざる名水なので、このご時世にしては珍しく水汲み代は無料です(この隣にお賽銭箱があるのでお賽銭を入れてお祈りはしましょう!)。
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ぼくも酔い覚ましに購入していたカルピスウォーターのペットボトルがあったので、よく漱いでこの神水を持ち帰りました。飲んでもみましたが、冷たくて美味なのはもちろんのこと、後に持ち帰った神水で新米を炊いてみたのですが嘘みたいに美味しかったです。
もちろん、水が美味しくて景色が綺麗、だけでも訪れる価値があるのですが、妙見信仰に対する理解を深めてから訪れるとまた一段と異なった味わいがあります。
「菩薩」とは、もともとサンスクリット語の「ボーディ・サットヴァ」が転じたものです(ちなみに、お釈迦さまの遺骨を収めた場所のことをサンスクリット語で「ストゥーパ」と読みますが、これが卒塔婆(そとば)になっていたりと古代インド語を語源とする言葉はたくさんあります)。またこの意味は「菩提(悟り)を求める衆生」というものですが、この妙見菩薩は他の菩薩とは異なり、道教に由来する古代中国の思想と習合して北極星(天皇大帝)と見なされています。
この天皇大帝という語彙は、天皇という呼称と関連があると考えた方が自然で、つまりは、この五ヶ瀬町の妙見神水は、水と景色を楽しみつつ、古代インド仏教から道教、そして天に不動の地位を確立する北極星の素晴らしさから我が国の象徴たる天皇に至るまでに想いを馳せることができる、超絶観光スポットなのです。
と、ここまで4,500字を費やして文章を綴って参りましたが、まだ椎葉村に入っていないことに、自分で慄いています。本編ともいうべき椎葉村のパートは「日本三大秘境 椎葉村 道教ツアー 後篇」として、また来週お届けしたいと思います。
しばしお待ちあれ。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラッ!(水野晴郎風)
(中篇につづく)
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